
古川ロッパ昭和日記(ふるかわロッパしょうわにっき)01 昭和九年(01 しょうわくねん)
前年記 昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、之は一ヶ月にてポシャり、二月は一...
前年記 昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。一月七日から公園劇場で喜劇爆笑隊公演に特別出演し、之は一ヶ月にてポシャり、二月は一...
世の中が中々むづかしいのは、 悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、 実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。 八月二十日ふと思ふ。...
前年記 昭和十年は、浅草から丸の内へといふ、僕にとっての一大転機の年として記念すべき年であった。 昭和七年一月宝塚中劇場のスタート...
よき日、よき頃のはなしである。 フランスの汽船会社M・Mの船が、神戸の港へ入ると、その船へ昼食を食べに行くことが出来たものだった。 は...
戦争に負けてから、もう十年になる。戦前と戦後を比較してみると、世相色々と変化の跡があるが、食いものについて考えてみても、随分変った。 ち...
十二階があったころの浅草、といえば、震災前のこと。中学生だった僕は、活動写真を見るために毎週必ず、六区の常設館へ通ったものだ。はじめて、来...
大久保恒次さんの『うまいもん巡礼』の中に、「古川緑波さんの『色町洋食』という概念は、実に的確そのものズバリで」云々と書いてある。 ところ...
目下、僕は毎日、R撮影所へ通って、仕事をしている。そして、毎昼、うどんを食っている。 此の撮影所は、かなり辺鄙(へんぴ)な土地にあるので...
もう僕の食談も、二十何回と続けたのに、ちっとも甘いものの話をしないものだから、菓子については話が無いのか、と訊いて来た人がある。僕は、...
「おうなにしますか、それとも、ギュウがいいかい?」 と、僕の祖母は、鰻を「おうな」牛肉を「ギュウ」と言った。 無論、明治の話。然し、...