茶の本(ちゃのほん)


 第一章 人情の碗
茶は日常生活の俗事の中に美を崇拝する一種の審美的宗教すなわち茶道の域に達す――茶道は社会の上下を通じて広まる――新旧両世界の誤解――西洋における茶の崇拝――欧州の古い文献に現われた茶の記録――物と心の争いについての道教徒の話――現今における富貴権勢を得ようとする争い
 第二章 茶の諸流
茶の進化の三時期――とうそうみんの時代を表わす煎茶せんちゃ抹茶ひきちゃ淹茶だしちゃ――茶道の鼻祖陸羽――三代の茶に関する理想――後世のシナ人には、茶は美味な飲料ではあるが理想ではない――日本においては茶は生の術に関する宗教である
 第三章 道教と禅道
道教と禅道との関係――道教とその後継者禅道は南方シナ精神の個人的傾向を表わす――道教は浮世をかかるものとあきらめて、このき世の中にも美を見いだそうと努める――禅道は道教の教えを強調している――精進静慮することによって自性了解じしょうりょうげの極致に達せられる――禅道は道教と同じく相対を崇拝する――人生の些事さじの中にも偉大を考える禅の考え方が茶道の理想となる――道教は審美的理想の基礎を与え禅道はこれを実際的なものとした
 第四章 茶室
茶室は茅屋ぼうおくに過ぎない――茶室の簡素純潔――茶室の構造における象徴主義――茶室の装飾法――外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂
 第五章 芸術鑑賞
美術鑑賞に必要な同情ある心の交通――名人とわれわれの間の内密の黙契――暗示の価値――美術の価値はただそれがわれわれに語る程度による――現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない――美術と考古学の混同――われわれは人生の美しいものを破壊することによって美術を破壊している
 第六章 花
花はわれらの不断の友――「花の宗匠」――西洋の社会における花の浪費――東洋の花卉栽培かきさいばい――茶の宗匠と生花の法則――生花の方法――花のために花を崇拝すること――生花の宗匠――生花の流派、形式派と写実派
 第七章 茶の宗匠
芸術を真に鑑賞することはただ芸術から生きた力を生み出す人にのみ可能である――茶の宗匠の芸術に対する貢献――処世上に及ぼした影響――利休の最後の茶の湯

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茶の本


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 茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々じゅんじゅんと教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。
 茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人てんじんに関するわれわれのいっさいの見解を表わしているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主主義の真精神を表わしている。
 日本が長い間世界から孤立していたのは、自省をする一助となって茶道の発達に非常に好都合であった。われらの住居、習慣、衣食、陶漆器、絵画等――文学でさえも――すべてその影響をこうむっている。いやしくも日本の文化を研究せんとする者は、この影響の存在を無視することはできない。茶道の影響は貴人の優雅な閨房けいぼうにも、下賤げせんの者の住み家にも行き渡ってきた。わが田夫は花を生けることを知り、わが野人も山水をでるに至った。俗に「あの男は茶気ちゃきがない」という。もし人が、わが身の上におこるまじめながらの滑稽こっけいを知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく、浮かれ気分で騒ぐ半可通はんかつうを「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する。
 よその目には、つまらぬことをこのように騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれぬ。一杯のお茶でなんという騒ぎだろうというであろうが、考えてみれば、せんずるところ人間享楽の茶碗ちゃわんは、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むるかわきのとまらぬあまり、一息に飲みほされるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとてとがめだてには及ぶまい。人間はこれよりもまだまだ悪いことをした。酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。軍神マーズの血なまぐさい姿をさえも理想化した。してみれば、カメリヤの女皇に身をささげ、その祭壇から流れ出る暖かい同情の流れを、心ゆくばかり楽しんでもよいではないか。象牙色ぞうげいろの磁器にもられた液体琥珀こはくの中に、その道の心得ある人は、孔子こうしの心よき沈黙、老子ろうしの奇警、釈迦牟尼しゃかむにの天上の香にさえ触れることができる。