雨の日に出ることの危険は知っていたが、これほどまで凄いとは思わなかった。出勤の日が切迫していたので無理に出たが、あんな日にはもう二度と出まいと思った。幸か不幸かトンネルの入口が雪崩でこわれ、雪が一杯詰っていて通れずやむなく引返した。

二十五日 快晴 七・〇〇発 〇・〇〇徳本峠 二・三〇岩魚止 七・二〇島々
 昨日の雨で岳川谷の下半部は真青になっていた。徳本とくごうは、普通輪※(「木+累」、第3水準1-86-7)で登る左の小さい谷に入って意外にひまどった。徳本の島々谷側は峠の東北側から一直線に底雪崩が下まで走っていた。たいていの谷から凄いのが出ていた。それらを横切るのにピッケルが必要だった。この一週間は割合天気がよかったが、僕と入れ代りに上高地にきたB・K・Vの成定氏および額氏は、その後一週間毎日雪が降り、殺生小屋附近しか登れなかったという。
(一九二五・一二)
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私の登山熱







 私は神戸に来てから三年くらい旅行の味を知らなかった。大正十年遠山様設立のデデイル会(三菱)に入ってからこの味が少しわかりだし、大正十三年以来兵庫県内の国道と県道を四百里ほど歩いた。大正十四年の八月終りには蓮華温泉から白馬岳に登り鎗温泉に下り、吉田口から富士山に登り御殿場に下山を皮切りに、九月には大峰山脈を縦走し大台ヶ原山に登った。十月には大山に登り船上山へ廻ってみた。大正十五年七月中頃には岩間温泉へ下山、七月終りには中房温泉から燕岳へ登り大天井岳西岳小屋を経て槍ヶ岳の絶頂を極め穂高連峯を縦走し上高地へ下山、平湯から乗鞍岳に登り石仏道を下山、日和田から御嶽山に登り王滝口下山、上松から駒ヶ岳に登り南駒ヶ岳まで縦走し飯島へ下山、八月中頃には材木坂を登って室堂にいたり浄土山、雄山、大汝峰、別山と縦走し劔岳を極め長次郎谷を下り小黒部を経て鐘釣温泉へ下山、八月終りには戸台を経て仙丈岳を極め引返し駒ヶ岳へ登り台ヶ原へ下山、大泉村から権現岳を経て八ヶ岳連峰を縦走し本沢温泉へ下山、沓掛より浅間山に夜行登山をなし御来光を拝し小諸へ下山等の登山をした。
 これらの登山中私はいつでもリーダーなくただ一人だったから、日数は割合多く費やしたが費用は少なくてすみ、精神修養、山への自信等多くの利益を得た。
 白馬の熊――白馬小屋で夜中にガタガタと戸を打つ音がすると思って目をさますと、寝ている小屋の横でドスドスと大きな足音のような物音がするので、テッキリ熊だと思ってゾッと冷汗をかいたまま毛布を被って息を殺していた。翌朝小屋の人にこの話をすると、夏の終りにはときどき、食物を求めに熊が来るとのこと、それ以来、鎗温泉から小日向山を乗越すまで声を限りに歌を唱い通したが、今思うとおかしくてならない。何分初めての山登りでもあり、中川原の宿屋でも、蓮華れんげ温泉に食物を運ぶ人が温泉に行く途中で木に登っている熊を見て驚き、悲鳴をあげて逃げだすと、熊も恐ろしい声を出して谷間へ転げ落ちるかのように姿を消したと聞いていてビクビクしていたときだったから無理もない。
 大峰山――山上ヶ岳の籠堂こもりどうで案内人どもが縦走のなかなか苦しいことを語り、むやみに傭ってくれと言う。私はいつでも一人でリーダーを傭わぬとわかると、缶詰を持っているかとか、水が無いから氷砂糖のような物を持たぬといかんとか言う。私がキャラメルを持っていると出して見せると親切に話しながらみな平げて行ってしまった。
 大山――僅か五六五二尺の山だが、偃松はいまつがあるのと眺望の雄大なのに驚いた。
 船上山――さすがは有名な史蹟だ。秩父宮様の行啓の碑があった。
 白山――白山を縦走してやろうと思って尾添から美女坂道を登ることにした。ところが地図には堂々と道があるが、行ってみると炭焼の道が途中まであるきりで、トテモ通れない。その中を私は一生懸命に歩き廻ったが、結局は後戻りだった。この日一日オジャンになってしまったが、私がよく調べて行かなかったのが悪いので誰をうらむわけにもいかぬ。さて地図には書いてないが、岩間温泉から登山道ができていることがわかり、すぐにこれを登って温泉へきてみると人がいない。仕方がないから引返して途中の山小屋に泊めてもらった。この日は白山祭でたいていの小屋の人は村へ下山していたが、ここの人々は養蚕をやっておられたので、幸いに泊めてもらうことができた。なんでも大津で暮しておられたが、主人が脚気にかかり、やむを得ずこの故郷に帰っておられるとのことだった。それから山の話や、熊は逃げるのが早く高いところにはいないので岩間温泉附近に一番多くいるとか、長いあいだいいお天気がつづいたから明日は雨かも知れない、もし雨が降れば山は風もつよく危険である等と種々話された。翌日はやっぱり雨だったし気持の悪い風も吹いていた。主人はもし危険だと思ったら引返しなさいと言って、昨日のラッセルでワラジが一つ無くなっているのを見て無い中から作って下さった。雪渓が多いのと風雨が強かったので相当苦心したが、無事白山の絶頂を極め得たことをこの人人に感謝してやまない。ただ小さいお金が無くて壱円なにがししか置けなかったのと、名刺を置いたが名前を聞かなかったことを心残りに思っている。