恭三の父(きょうぞうのちち)

    手紙

 恭三は夕飯後例の如く村を一周して帰って来た。
 帰省してから一カ月余になった。昼はもとより夜も暑いのと蚊が多いのとで、かねて計画して居た勉強などは少しも出来ない。話相手になる友達は一人もなし毎日毎日単調無味な生活に苦しんで居た。仕事といえば昼寝と日に一度海に入るのと、夫々それ/\[#ルビの「それ/\」はママ]故郷へ帰って居る友達へ手紙を書くのと、こうして夕飯後に村を一周して来ることであった。彼は以上の事をほとんど毎日欠かさなかった。中にも手紙を書くのと散歩とは欠かさなかった。方々に居る友達へ順繰じゅんぐりに書いた。大方端書はがきであった。彼は誰にも彼にも田舎生活の淋しい単調なことを訴えた。そして日々の出来事をどんなつまらぬ事でも書いた。隣家の竹垣に蝸牛かたつむりが幾つ居たということでも彼の手紙の材料となった。何にも書くことがなくなると、端書に二字か三字の熟語の様なものを書いて送ることもあった。んなことをするのは一つは淋しい平凡な生活をまぎらすためでもあるが、どちらかと言えば友達からも毎日返事を貰いたかったからである。友達からも殆ど毎日消息があったが時には三日も五日も続いて来ないこともあった。そんな時には彼は堪らぬ程淋しがった。郵便は一日に一度午後の八時頃に配達して来るので彼は散歩から帰って来ると来ているのが常であった。彼は狭い村を彼方あちらに一休み此方こちらに一休みして、なるべく時間のかゝる様にしてまわった。そして帰る時には誰からか手紙が来て居ればよい、いや来て居るに相違ないという一種の予望を無理にでも抱いて楽みながら帰るのが常であった。
 今夜も矢張そうであった。
 家のものは今蚊帳かやの中に入った所らしかった。納戸なんどの入口に洋灯ランプが細くしてあった。
「もう寝たんですか。」
「寝たのでない、横に立って居るのや。」と弟の浅七が洒落しゃれをいった。
「起きとりゃ蚊が攻めるし、寢るより仕方がないわいの。」と母は蚊帳の中で団扇うちわをバタつかせて大きな欠伸あくびをした。
 恭三は自分の部屋へ行こうとして、
「手紙か何か来ませんでしたか。」と尋ねた。
「お、来とるぞ。」と恭三の父は鼻のつまった様な声で答えた。彼は今日笹屋の土蔵の棟上むねあげに手伝ったので大分酔って居た。
 手紙が来て居ると聞いて恭三は胸をおどらせた。
「えッ、どれッ※(感嘆符二つ、1-8-75)」慌てて言って直ぐに又、「何処どこにありますか。」と努めて平気に言い直した。
「お前のとこへ来たのでない。」
「へえい……。」
 急に張合が抜けて、恭三はぼんやり広間に立って居た。一寸ちょっと間を置いて、
うちへ来たんですか。」
「おう。」
「何処から?」
本家おもやの八重さのとこからと、清左衛門の弟様おっさまの所から。」と弟が引き取って答えた。
「一寸読んで見て呉れ、別に用事はないのやろうけれど。」と父がやさしく言った。
「浅七、お前読まなんだのかい。」
 恭三は不平そうに言った。
「うむ、何も読まん。」
「何をヘザモザ言うのやい。浅七が見たのなら、何もお前に読んで呉れと言わんない※(感嘆符二つ、1-8-75) あっさり読めばいのじゃないか。」
 父親の調子は荒かった。
 恭三はハッとした。意外なことになったと思った。が妙な行きがかりで其儘そのまゝあっさり読む気にはなれなかった。それで、
「何処にありますか。」と大抵其在所が分って居たが殊更ことさらに尋ねた。
 父は答えなかった。
炉縁ろぶちの上に置いてあるわいの。浅七が蚊帳に入ってから来たもんじゃさかい、読まなんだのやわいの。邪魔でも一寸読んで呉んさい。」と母は優しく言った。
 恭三は洋灯を明るくして台所へ行った。炉縁の角の所に端書と手紙とが載って居た。恭三は立膝のまゝでそれを手に取った。
 生温い灰の香が鼻についた。蚊が二三羽耳の傍でうなった。恭三は焦立いらだった気持になった。呼吸がせわしくなって胸がつかえる様であった。腋の下に汗が出た。
 先ず端書を読んだ。京都へ行って居る八重という本家の娘からの暑中見舞であった。手紙の方は村から一里余離れた富来とぎ町の清左衛門という呉服屋の次男で、つい先頃七尾の或る呉服屋へ養子に行った男から来たのであった。彼は養子に行く前には毎日此村へ呉服物の行商に来た男で、弟様おっさまといえば大抵誰にも通ずる程此村に出入して居た。恭三の家とは非常に懇意にして居たので、此処こゝを宿にして毎日荷物を預けて置いて、朝来てはそれをになって売り歩いた。今度七尾へ養子に行ったのについて長々厄介になったという礼状を寄越したのであった。
 恭三は両方共読み終えたが、不図ふとした心のはずみで妙に間拍子が悪くなって、何でもない事であるのに、優しく説明して聞かせることが出来にくいような気持になった。で何か言われたら返事をする積りで煙草に火をつけた。