西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝(せいようにんじょうばなし えいこくこうしジョージスミスのでん)

又「誠に存外の御無音(ごぶいん)」
丈「これはどうも」
又「一寸(ちょっと)伺(うかゞ)わなけりゃならんのだが、少し仔細(しさい)有って信州へ行って居りましたが、長野県では大(おお)きに何も彼(か)もぐれはまに相成って、致し方なく、東京までは帰って来たが、致方(いたしかた)がないから下谷金杉(したやかなすぎ)の島田久左衞門(しまだきゅうざえもん)という者の宅に居候(いそうろう)の身の上、尊君(そんくん)にお目に懸(かゝ)りたいと思って居て、今日(きょう)図(はか)らず尋ね当りましたが、どうも大(たい)した御身代で、お嬢様も御壮健でございますか」
丈「はい、丈夫でいるよ、貴公もよく来てくれたなア」
又「いやどうも、成程これだけの構えでは奉公人なども大勢置かんならんねえ」
丈「いや奉公人も大勢置いたが、宿屋もあわんから奉公人には暇(いとま)を出して、身上(しんしょう)を仕舞おうと思って居(い)るのさ」
又「はてね、どういう訳で」
丈「さア色々仔細有って、実に負債(ふさい)でな、どうも身代が追付(おっつ)かぬ、先(ま)ずどうあっても身代限(しんだいかぎり)をしなければならぬが、身代限をしても追付かぬことがある」
又「そりゃア困りましたな、就(つい)ちゃア僕がそれ君にお預け申した百金は即刻御返金を願いたい、直(すぐ)に返しておくんなさえ」
丈「百円今こゝには無い」
又「無いと云っては困ります、僕が君に欺(あざむ)かれた訳ではあるまいが、これをこうすればあゝなる、この機械を斯(こ)うすれば斯ういう銭儲(ぜにもう)けがあると、貴君(きくん)の仰(おっし)ゃり方が実(まこと)しやかで、誠に智慧(ちえ)のある方の云うことだから、間違いはなかろうと思って、懇意の所から色々才覚をして出した所が目的が外(はず)れてしまって仕方がないが、百円の処は、是だけは君がどうしても返して呉れなければ、僕の命の綱で、只今斯(か)くの如き見る影もない食客(しょっかく)の身分だから、どうかお察し下さい」
丈「返して呉れと云っても仕方がないわ、それに此の節は勧解沙汰(かんかいざた)[#「勧解」に欄外校注:裁判官が説諭して示談にせしむること]が三件もあり、裁判所沙汰が二件もあるし、それに控訴もあるような始末だから、何と云っても仕方がない」
又「裁判沙汰が十(とお)有ろうが八つ有ろうが、僕の知ったことではない、相済まぬけれども是だけの構えを一寸(ちょっと)見ても大(たい)したものだ、それに外を廻って見ても、又座敷で一寸茶を入れるにも、それその銀瓶(ぎんびん)があって、其の他(ほか)、諸道具といい大した財産だ、あの百金は僕の命の綱、これがなければ何(ど)うにも斯(こ)うにも方(ほう)が付かぬ、君の都合は僕は知らないから、此の品を売却しても御返金を願う」
丈「この道具も皆抵当になっているから仕方がないわさ」
又「御返金がならなければ止(や)むを得んから、旧来御懇意の君でも勧解(かんかい)へ持出さなければならぬが、どうも君を被告にして僕が願立(ねがいた)てるというのは甚(はなは)だ旧友の誼(よし)みに悖(もと)るから、したくはないが、拠(よんどころ)ない訳だ」
丈「今と云っても仕方が無いと申すに」
又「はて、是非とも御返金を願う」
 と云って坐り込んで、又作も今身代限(しんだいかぎ)りになる訳でいると云うから、身代限りにならぬうちに百円取ろうとする。春見は困り果てゝ居ります所へ入って来ましたのは、前橋竪町の御用達の清水助右衞門という豪家(ごうか)でございます。此の人も色々遣(や)り損(そこ)なって損(そん)をいたして居りますが、漸々(よう/\)金策を致しまして三千円持って仕入れに参りまして、春見屋へ来まして。
助「はい、御免なさいまし、御免下さいまし」
丈「どなたか知らぬが、用があるならずっと此方(こっち)へ這入っておくんなさい」
助「御免を蒙(こうむ)ります、誠に御無沙汰しました、助右衞門でございます」
丈「おゝ/\、どうもこれはなつかしい、久々で逢った、まア/\此方(こっち)へ、いつも壮健で」
助「誠に存外御無沙汰致しましたが、貴方様(あなたさま)にも何時(いつ)もお変りなく、一寸(ちょっと)伺いたく思いやすが、何分にも些(ち)と訳あって取紛(とりまぎ)れまして御無沙汰致しましたが、段々承れば宿屋店(やどやみせ)をお出しなすったそうで、世界も変れば変るもので、春見様が宿屋になって泊り客の草履(ぞうり)をお直しなさるような事になって、誠にお傷(いた)わしいことだ、それを思えば助右衞門などは何をしても好(い)い訳だと思って、忰(せがれ)や娘に意見を申して居ります、旦那様もお身形(みなり)が変りお見違(みち)げえ申す様(よう)になりました、誠にまアあんたもおふけなさいました」
丈「こう云う訳になって致方(いたしかた)がない、前橋の方も尋ねたいと思って居たが、何分貧乏暇なしで御無沙汰になった、よく来た、どうして出て来たのだ」