夜明け前(よあけまえ)

「鹿よりも、けんかの方がよっぽどおもしろかった。」
 と吉左衛門は金兵衛に言って見せて笑った。何かというと二人ふたりは村のことに引っぱり出されるが、そんなけんかは取り合わなかった。
 檜木ひのきさわら明檜あすひ高野槇こうやまきねずこ[#「木+鑞のつくり」、10-17]――これを木曾では五木ごぼくという。そういう樹木の生長する森林の方はことに山も深い。この地方には巣山すやま留山とめやま明山あきやまの区別があって、巣山と留山とは絶対に村民の立ち入ることを許されない森林地帯であり、明山のみが自由林とされていた。その明山でも、五木ばかりは許可なしに伐採することを禁じられていた。これは森林保護の精神より出たことは明らかで、木曾山を管理する尾張藩がそれほどこの地方から生まれて来る良い材木を重くていたのである。取り締まりはやかましい。すこしの怠りでもあると、木曾谷中三十三か村の庄屋しょうや上松あげまつの陣屋へ呼び出される。吉左衛門の家は代々本陣庄屋問屋の三役を兼ねたから、そのたびに庄屋として、背伐せぎりの厳禁を犯した村民のため言い開きをしなければならなかった。どうして檜木ひのき一本でもばかにならない。陣屋の役人の目には、どうかすると人間の生命いのちよりも重かった。
「昔はこの木曾山の木一本伐ると、首一つなかったものだぞ。」
 陣屋の役人のおどし文句だ。
 この役人が吟味のために村へはいり込むといううわさでも伝わると、いのしし鹿しかどころの騒ぎでなかった。あわてて不用の材木を焼き捨てるものがある。囲って置いた檜板ひのきいたよそへ移すものがある。多分の木を盗んで置いて、板にへいだり、売りさばいたりした村の人などはことに狼狽ろうばいする。背伐せぎりの吟味と言えば、村じゅう家探やさがしの評判が立つほど厳重をきわめたものだ。
 目証めあかし弥平やへいはもう長いこと村に滞在して、幕府時代のひくい「おかっぴき」の役目をつとめていた。弥平の案内で、福島の役所からの役人を迎えた日のことは、一生忘れられない出来事の一つとして、まだ吉左衛門の記憶には新しくてある。その吟味は本陣の家の門内で行なわれた。のみならず、そんなにたくさんな怪我人けがにんを出したことも、村の歴史としてかつて聞かなかったことだ。前庭の上段には、福島から来た役人の年寄、用人、書役かきやくなどが居並んで、そのわきには足軽が四人も控えた。それから村じゅうのものが呼び出された。そのとがによって腰繩こしなわ手錠で宿役人の中へ預けられることになった。もっとも、老年で七十歳以上のものは手錠を免ぜられ、すでに死亡したものは「おしかり」というだけにとどめて特別な憐憫れんびんを加えられた。
 この光景をのぞき見ようとして、庭のすみのなしの木のかげに隠れていたものもある。その中に吉左衛門がせがれの半蔵もいる。当時十八歳の半蔵は、目を据えて、役人のすることや、腰繩につながれた村の人たちのさまを見ている。それに吉左衛門は気がついて、
「さあ、行った、行った――ここはお前たちなぞの立ってるところじゃない。」
 としかった。
 六十一人もの村民が宿役人へ預けられることになったのも、その時だ。その中の十人は金兵衛が預かった。馬籠まごめの宿役人や組頭くみがしらとしてこれが見ていられるものでもない。福島の役人たちが湯舟沢村の方へ引き揚げて行った後で、「お叱り」のものの赦免せられるようにと、不幸な村民のために一同お日待ひまちをつとめた。その時のお札は一枚ずつ村じゅうへ配当した。
 この出来事があってから二十日はつかばかり過ぎに、「お叱り」のものの残らず手錠を免ぜられる日がようやく来た。福島からは三人の役人が出張してそれを伝えた。
 手錠を解かれた小前こまえのものの一人ひとりは、役人の前に進み出て、おずおずとした調子で言った。
おそれながら申し上げます。木曾は御承知のとおりな山の中でございます。こんな田畑もすくないような土地でございます。お役人様の前ですが、山の林にでもすがるよりほかに、わたくしどもの立つ瀬はございません。」


 新茶屋に、馬籠の宿の一番西のはずれのところに、その路傍みちばた芭蕉ばしょう句塚くづかの建てられたころは、なんと言っても徳川のはまだ平和であった。
 木曾路の入り口に新しい名所を一つ造る、信濃しなの美濃みの国境くにざかいにあたる一里づかに近い位置をえらんで街道を往来する旅人の目にもよくつくような緩慢なだらかな丘のすそに翁塚おきなづかを建てる、山石や躑躅つつじらんなどを運んで行って周囲に休息の思いを与える、土を盛りあげた塚の上に翁の句碑を置く――その楽しい考えが、日ごろ俳諧はいかいなぞに遊ぶと聞いたこともない金兵衛の胸に浮かんだということは、それだけでも吉左衛門を驚かした。そういう吉左衛門はいくらか風雅の道にたしなみもあって、本陣や庄屋の仕事のかたわら、美濃派の俳諧の流れをくんだ句作にふけることもあったからで。