俊寛(しゅんかん)

俊寛しゅんかん云いけるは……神明しんめいほかになし。ただ我等が一念なり。……唯仏法を修行しゅぎょうして、今度こんど生死しょうしを出で給うべし。源平盛衰記げんぺいせいすいき
(俊寛)いとど思いの深くなれば、かくぞ思いつづけける。「見せばやな我を思わぬ友もがな磯のとまやのしばいおりを。」同上


 俊寛様の話ですか? 俊寛様の話くらい、世間に間違って伝えられた事は、まずほかにはありますまい。いや、俊寛様の話ばかりではありません。このわたし、――有王ありおう自身の事さえ、とんでもない嘘が伝わっているのです。現についこの間も、ある琵琶法師びわほうしが語ったのを聞けば、俊寛様は御歎きの余り、岩に頭を打ちつけて、くるじにをなすってしまうし、わたしはその御死骸おなきがらを肩に、身を投げて死んでしまったなどと、云っているではありませんか? またもう一人の琵琶法師は、俊寛様はあの島の女と、夫婦のかたらいをなすった上、子供も大勢御出来になり、都にいらしった時よりも、楽しい生涯しょうがいを御送りになったとか、まことしやかに語っていました。前の琵琶法師の語った事が、跡方あとかたもない嘘だと云う事は、この有王が生きているのでも、おわかりになるかと思いますが、後の琵琶法師の語った事も、やはりい加減の出たらめなのです。
 一体琵琶法師などと云うものは、どれもこれもわれがおに、嘘ばかりついているものなのです。が、その嘘のうまい事は、わたしでもめずにはいられません。わたしはあの笹葺ささぶきの小屋に、俊寛様が子供たちと、御戯おたわむれになる所を聞けば、思わず微笑を浮べましたし、またあの浪音の高い月夜に、狂い死をなさる所を聞けば、つい涙さえ落しました。たとい嘘とは云うものの、ああ云う琵琶法師びわほうしの語った嘘は、きっと琥珀こはくの中の虫のように、末代までも伝わるでしょう。して見ればそう云う嘘があるだけ、わたしでも今の内ありのままに、俊寛様の事を御話しないと、琵琶法師の嘘はいつのまにか、ほんとうに変ってしまうかも知れない――と、こうあなたはおっしゃるのですか? なるほどそれもごもっともです。ではちょうど夜長を幸い、わたしがはるばる鬼界きかいしまへ、俊寛様を御尋ね申した、その時の事を御話しましょう。しかしわたしは琵琶法師のように、上手にはとても話されません。ただわたしの話の取りは、この有王がのあたりに見た、飾りのない真実と云う事だけです。ではどうかしばらくのあいだ、御退屈でも御聞き下さい。


 わたしが鬼界が島に渡ったのは、治承じしょう三年五月の末、ある曇ったひる過ぎです。これは琵琶法師も語る事ですが、その日もかれこれ暮れかけた時分、わたしはやっと俊寛しゅんかん様に、めぐりう事が出来ました。しかもその場所は人気ひとけのない海べ、――ただ灰色のなみばかりが、砂の上に寄せては倒れる、いかにも寂しい海べだったのです。
 俊寛様のその時の御姿は、――そうです。世間に伝わっているのは、「わらわかとすれば年老いてそのかおにあらず、法師かと思えばまた髪はそらざまにあがりて白髪はくはつ多し。よろずのちり藻屑もくずのつきたれども打ち払わず。くび細くして腹大きにれ、色黒うして足手細し。人にして人に非ず。」と云うのですが、これも大抵たいていは作り事です。殊にくびが細かったの、腹がれていたのと云うのは、地獄変じごくへんからでも思いついたのでしょう。つまり鬼界が島と云う所から、餓鬼がきの形容を使ったのです。なるほどその時の俊寛様は、髪も延びて御出おいでになれば、色も日に焼けていらっしゃいましたが、そのほかは昔に変らない、――いや、変らないどころではありません。昔よりも一層いっそう丈夫そうな、頼もしい御姿おすがただったのです。それが静かな潮風しおかぜに、法衣ころもの裾を吹かせながら、浪打際なみうちぎわを独り御出でになる、――見れば御手おてには何と云うのか、笹の枝に貫いた、小さい魚を下げていらっしゃいました。
僧都そうず御房ごぼう! よく御無事でいらっしゃいました。わたしです! 有王ありおうです!」
 わたしは思わず駈け寄りながら、嬉しまぎれにこう叫びました。
「おお、有王か!」
 俊寛様は驚いたように、わたしの顔を御覧になりました。が、もうわたしはその時には、御主人の膝をいたまま、嬉し泣きに泣いていたのです。
「よく来たな。有王! おれはもう今生こんじょうでは、お前にも会えぬと思っていた。」