新世帯(あらじょたい)


 新吉しんきちがおさくを迎えたのは、新吉が二十五、お作が二十の時、今からちょうど四年前の冬であった。
 十四の時豪商の立志伝や何かで、少年の過敏な頭脳あたま刺戟しげきされ、東京へ飛び出してから十一年間、新川しんかわの酒問屋で、傍目わきめもふらず滅茶苦茶めっちゃくちゃに働いた。表町おもてちょうで小さいいえを借りて、酒に醤油しょうゆまきに炭、塩などの新店を出した時も、飯ひまが惜しいくらい、クルクルと働き詰めでいた。始終たすきがけの足袋跣たびはだしのままで、店頭みせさきに腰かけて、モクモクと気忙きぜわしそうに飯をッ込んでいた。
 新吉はちょっといい縹致きりょうである。面長おもながの色白で、鼻筋の通った、口元の優しい男である。ビジネスカットとかいうのに刈り込んで、えりの深い毛糸のシャツを着て、前垂まえだれがけで立ち働いている姿にすら、どことなく品があった。雪の深い水の清い山国育ちということが、皮膚の色沢いろつやすぐれて美しいのでも解る。
 お作を周旋したのは、同じ酒屋仲間の和泉屋いずみやという男であった。
内儀かみさんを一人世話しましょう。いいのがありますぜ。」と和泉屋は、新吉の店がどうか成り立ちそうだという目論見もくろみのついた時分に口を切った。
 新吉はすぐには話に乗らなかった。
「まだ海のものとも山のものとも知れねいんだからね。これなら大丈夫屋台骨が張って行けるという見越しがつかんことにゃ、あっしア不安心で、とてもかかあなど持つ気になれやしない。嚊アを持ちゃ、子供が生れるものと覚悟せんけアなんねえしね。」とそのさびしい顔に、不安らしいみを浮べた。
 けれども新吉は、その必要は感じていた。注文取りに歩いている時でも、洗湯せんとうへ行っている間でも、小僧ばかりでは片時も安心が出来なかった。帳合いや、三度三度の飯も、自分の手と頭とを使わなければならなかった。新吉は、内儀かみさんをもらうと貰わないとの経済上の得失などを、深く綿密に考えていた。一々算盤珠そろばんだまはじいて、口が一つえればどう、二年って子供が一人うまれればどうなるということまで、出来るだけ詳しく積って見た。一年の店の利益、貯金の額、利子なども最少額に見積って、間違いのないところを、ほぼ見極みきわめをつけて、幾年目にどれだけの資本もとが出来るという勘定をすることぐらい、新吉にとって興味のある仕事はなかった。
 三月ばかり、内儀さんの問題で、頭脳あたまを悩ましていたが、やっぱり貰わずにはいられなかった。
 お作はそのころ本郷西片町ほんごうにしかたまちの、ある官吏の屋敷に奉公していた。
 産れは八王子のずっと手前の、ある小さい町で、叔父おじ伝通院でんずういん前にかなりな鰹節屋かつぶしやを出していた。新吉は、ある日わざわざ汽車で乗り出して女のうま在所ざいしょへ身元調べに行った。


 お作のうちは、その町のかなり大きな荒物屋であった。なべおけ、瀬戸物、シャボン、塵紙ちりがみ草履ぞうりといった物をコテコテとならべて、老舗しにせと見えて、くろずんだ太い柱がツルツルと光っていた。
 新吉はすぐ近所の、怪しげな暗い飲食店へ飛び込んで、チビチビと酒をみながら、女をとらえて、荒物屋の身上しんしょう、家族の人柄、土地の風評などを、抜け目なくただした。女は油くさい島田の首を突き出しては、しゃくをしていたが、知っているだけのことは話してくれた。田地が少しばかりに、小さい物置同様の、倉のあることも話した。兄が百姓をしていて、おととが土地で養子に行っていることも話した。養蚕時ようさんどきには養蚕もするし、そっちこっちへ金の時貸しなどをしていることもしゃべった。
 新吉自身の家柄との権衡けんこうから言えば、あまりドッとした縁辺えんぺんでもなかった。新吉のうちは、今はすっかり零落しているけれど、村では筋目正しいいえの一ツであった。新吉は七、八歳までは、おぼッちゃんで育った。親戚しんせきにも家柄のうちがたくさんある。物はくしても、家の格はさまで低くなかった。
 けれど、新吉はそんなことにはあまり頓着とんちゃくもしなかった。自分の今の分際では、それで十分だと考えた。
 そのことを、同じ村から出ている友達に相談してから、新吉はようやくはなしを進めた。見合いは近間の寄席よせですることにした。新吉はその友達と一緒に、和泉屋に連れられて、不断着のままでヒョコヒョコと出かけた。お作は薄ッぺらな小紋縮緬こもんちりめんのような白ッぽい羽織のうえに、ショールを着て、叔父と田舎いなかから出ている兄との真中に、少し顔をはすにして坐っていた。叔父は毛むくじゃらのような顔をして、古い二重廻しを着ていた。兄はひしなりのような顔の口の大きい男で、これも綿ネルのシャツなど着て、土くさい様子をしていた。横向きであったので、新吉は女の顔をよく見得なかった。色の白い、丸ぽちゃだということだけは解った。お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていたが、新吉は胸がワクワクして、頭脳あたまが酔ったようになっていた。