足迹(あしあと)


 おしょうの一家が東京へ移住したとき、お庄はやっと十一か二であった。
 まさかの時の用意に、山畑は少しばかり残して、後は家屋敷も田もすっかり売り払った。すすけた塗り箪笥だんす長火鉢ながひばち膳椀ぜんわんのようなものまで金に替えて、それをそっくり父親が縫立ての胴巻きにしまい込んだ。
「どうせこんな田舎柄いなかがらは東京にゃ流行はやらないで、こんらも古着屋へ売っちまおう。東京でうまく取り着きさえすれアみんなにいいものを買って着せるで心配はない。」
 とかく愚痴っぽい母親が、奥の納戸なんどでゴツゴツした手織縞ておりじまの着物を引っ張ったり畳んだりしていると、前後あとさきの考えのない父親がこう言って主張した。これまでにもさんざん道楽をし尽して、どうかこうか五人の子供を育てあげるにさしつかえぬくらいの身代を飲みつぶしてしまった父親は、妻子を引き連れてどこか面白いところを見物に行くような心持でいた。
 それまでに夫婦は長いあいだ、身上しんしょうをしまうしまわぬで幾度となく捫着もんちゃくした。母親はそのたびにいろいろの場合のことを言い出して、一つ一つなくなった物を数えたてた。
「あんらも今あれアたとい東京へ行くにしたってはずかしい思いはしないに」と、ろくに手を通さない紋附や小紋のようなものを、縫い直しにやると言って、一ト背負い町へ持ち出して行かれたことなどを、くどくどとこぼした。自分で苦労して、養蚕で取った金を夕方裏の川へ出ているちょっとの間に、ちょろりとせしめて出て行ったきり、色町へ入りびたって、七日も十日も帰らなかったことなども、今さらのように言い立てられた。すると父親は煙管きせるを筒にしまって腰へさすと、ぷいと炉端ろばたを立って向うの本家へはずしてしまう。
 お庄は母親が、売るものと持って行くものとを、丹念にり分けて、しまったり出したりしているそばに座り込んで、これまでに見たこともない小片こぎれや袋物、古い押し絵、珊瑚球さんごじゅのような物を、不思議そうに選り出してはいじっていた。中には顎下腺炎がっかせんえんとかで死んだ祖母ばあさんの手のあとだというかびくさい巾着きんちゃくなどもあった。お庄は自分の産れぬ前のことや、ちいさいおりのことを考えて、暗いなつかしいような心持がしていた。
 家がすっかり片着いて、つ二日ばかり前に一同本家へ引き揚げた時分には、思いりのわるい母親の心もいくらか紛らされていた。明るい方へ出て行くような気もしていた。
 父親は本家の若いあるじと朝から晩まで酒ばかり飲んでいた。村で目ぼしい家は、どこかで縁がつながっていたので、それらの人々も、餞別せんべつを持って来ては、入れ替り立ち替り酒に浸っていた。山国の五月はやっと桜が咲く時分で裏山の松や落葉松からまつの間に、微白ほのじろいその花が見え、桑畑はまだ灰色に、田は雪が消えたままに柔かくくろずんでいた。
 道中はかなりに手間どった。汽車のあるところまで出るには、五日もかかった。馬車の通っているところは馬車に乗り、人力車くるまのあるところは人力車に乗ったが、子供をおぶったり、手を引っ張ったりして上るようなけわしい峠もあった。父親は早目にその日の旅籠はたごへつくと、伊勢いせ参宮でもした時のように悠長ゆうちょうに構え込んで酒や下物さかなを取って、ほしいままに飲んだり食ったりした。
「田舎の地酒もここがおしまいだで、お前もまあ坐って一つやれや。」と、父親はきちんと坐って、しゃがれたような声で言って、妻に酒をいだ。
 母親は泣き立てる乳呑ちのを抱えて、お庄の明朝あしたの髪をったり、下の井戸端いどばた襁褓むつきを洗ったりした。雨の降る日は部屋でそれをさなければならなかった。
鼻汁はなをたらしていると、東京へ行って笑われるで、綺麗きれいに行儀をよくしているだぞ。」と、父親はお庄の涕汁はななぞをんでやった。気の荒い父親も旅へ出てからの妻や子に対する心持は優しかった。
 ある町場に近い温泉場ゆばへつれて行った時、父親はそこで三日も四日も逗留とうりゅうして、しまいに芸者をあげて騒ぎだした。


 一行が広い上野のプラットホームを、押し流されるように出て行ったのは、ある蒸し暑い日の夕方であった。
 父親はかばんに二本からげたかさを通して、それを垂下ぶらさげ、ぞろぞろ附いて来る子供を引っ張ってベンチのところへ連れて行くと、母親も泣き立てる背中の子をゆすり揺り襁褓しめしの入った包みを持って、めまぐるしい群集のなかを目の色を変えて急いで行った。停車場ステーションでは蒼白あおじろ瓦斯燈ガスとうの下に、夏帽やネルを着た人の姿がちらほら見受けられた。