道標(どうひょう)

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 からだの下で、列車がゴットンと鈍く大きくゆりかえしながら止った。その拍子に眼がさめた。伸子は、そんな気がして眼をあけた。だが、伸子の眼の前のすぐそばには緑と白のゴバン縞のテーブルかけをかけた四角いテーブルが立っている。そのテーブルの上に伸子のハンド・バッグだの素子の書類入鞄だのがごたごたのっていて、目をうつすと白く塗られた入口のドアの横に、大小数個のトランク、二つの行李、ハルビンで用意した食糧入れの柳製大籠などが、いかにもひとまずそこまで運びこんだという風に積みあげられている。それらが、薄暗い光線のなかに見えた。素子は伸子の位置からすればTの型に、あっちの壁によせておかれているベッドで睡っている。それも、やっぱり薄暗い中に見える。
 ここはモスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)だったのだ。伸子は急にはっきり目がさめた。自分たちはモスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)へついている。――モスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)――。
 きのう彼女たちが北停車場へ着いたのは午後五時すぎだった。北国の冬の都会は全く宵景色で、駅からホテルまで来るタクシーの窓からすっかり暮れている街と、街路に流れている灯の色と、その灯かげを掠めて降っている元気のいい雪がみえた。タクシーの窓へ顔をぴったりよせてそとを見ている伸子の前を、どこか田舎風な大きい夜につつまれはじめた都会の街々が、低いところに灯かげをみせ、時には歩道に面した半地下室の店の中から扇形の明りをぱっと雪の降る歩道へ照し出したりして通りすぎた。通行人たちは黒い影絵となって足早にその光と雪の錯綜をよこぎっていた。それらの景色には、ヨーロッパの大都市としては思いがけないような人懐こさがあった。
 きょうはモスク※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)の第一日。――その第一瞥。――伸子はこみ上げて来る感情を抑えきれなくなった。ベッドのきしみで素子をおこさないようにそっと半身おきあがって、窓のカーテンの裾を少しばかりもちあげた。そこへ頭をつっこむようにして外を見た。
 二重窓のそとに雪が降っていた。伸子たちがゆうべついたばかりのとき、軽く降っていた雪は、そのまま夜じゅう降りつづけていたものと見える。見えない空の高みから速くどっさりの雪が降っていて、ひろくない往来をへだてた向い側の大工事場の足場に積り、その工事場の入口に哨兵の休み場のために立っている小舎のきのこ屋根の上にも厚くつもっている。雪の降りしきるその横町には人通りもない。きこえて来る物音もない。そのしずかな雪降りの工事場の前のところを、一人の歩哨が銃をつり皮で肩にかけてゆっくり行ったり来たりしていた。さきのとんがった、赤い星のぬいつけられたフェルトの防寒帽をかぶって、雪の面とすれすれに長く大きい皮製裏毛の防寒外套の裾をひきずるようにして、歩哨は行ったり来たりしている。彼に気づかれることのない三階の窓のカーテンの隅からその様子を眺めおろしている伸子の口元に、ほほえみが浮んだ。ふる雪の中をゆっくり歩いている歩哨は、あとからあとからとおちて来る雪に向って、血色のいい若い顔をいくらか仰向かせ、わざと顔に雪をあてるような恰好で歩いている。若い歩哨は雪がすきらしかった。自分たちの国のゆたかで荘重な冬の季節を愛していて、体の暖い若い顔にかかる雪がうれしいのだろう。雪のすきな伸子には、歩哨の若者が顔を雪にあてる感情がわかるようだった。
「――ぶこちゃん?」
 うしろで、目をさましたばかりの素子の声がした。伸子は、カーテンをもち上げていたところから頭をひっこめた。
「めがさめた?」
「あーあよくねた、何時ごろなんだろう」
 そう云えば伸子もまだ時計をみていなかった。
「八時半だわ」
 素子は一寸の間黙っていたが、ベッドに横になったまま、
「カーテンあけてみないか」
と云った。伸子は、重く大きい海老えび茶木綿の綾織カーテンを勢よくひいた。狭いその一室に外光がさしこんだ。雪のふりしきる窓の全景があらわれ、うす緑色の塗料でぬられている彼女たちの室の壁が明るくなった。しかし、その明るさは大きい窓ガラス越しにふる雪の白さがかえって際だって見えるという程の明るさでしかなかった。
「これじゃ仕様がない、ぶこちゃん、電気つけようよ」
 スイッチを押し、灯をつけてから、伸子はドアをあけて首だけ出すようにホテルの廊下をのぞいた。くらい十二月の朝の気配や降る雪にすべての物音を消されている外界の様子が伸子にもの珍しかった。廊下のはずれにバケツを下げた掃除女の姿が見えるばかりだった。廊下をへだてた斜向はすむかいの室のドアもまだしまったままで、廊下のはじにニッケルのサモワールが出してあった。サモワールは、ゆうべ秋山宇一が彼の室へとりよせて瀬川雅夫などと一緒に、伸子たちをもてなしてくれたその名残りだった。
 ドアをしめて戻ると、伸子はにおちない風で、