在りし日の歌(ありしひのうた)

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なにゆゑに こゝろかくはぢらふ
秋 風白き日の山かげなりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなびちゐたり

枝々の みあはすあたりかなしげの
空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ
をりしもかなた野のうへは
あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき

椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし

その日 その幹のひま 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
あゝ! 過ぎし日の ほの燃えあざやぐをりをりは
わが心 なにゆゑに なにゆゑにかくは羞ぢらふ……
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臘祭らふさいの夜の ちまたちて
 心臓はも 条網にから
あぶらぎる 胸乳むなちあら
 よすがなき われは戯女たはれめ

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇をはらめり
とほき空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇しろばらの 造化の花瓣くわべん
 てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女のつど
 それらみな ふるのわが友

偏菱形へんりようけい聚接面しゆうせつめんそも
 胡弓の音 つづきてきこゆ
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雨は 今宵も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
 と、見る※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ル氏の あの図体づうたいが、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。

倉庫の 間にや 護謨合羽かつぱの 反射ひかりだ。
  それから 泥炭の しみたれた 巫戯ふざけだ。
さてこの 路次を 抜けさへ したらば、
  抜けさへ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにや 相違も あるまい?

自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
  あかるい 外燈なぞは なほの ことだ。
酒場の 軒燈あかりの 腐つた 眼玉よ、
  とほくの 方では 舎密せいみも 鳴つてる。
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  けふ一日ひとひまた金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  女王の冠さながらに
 たくの前には腰を掛け
かびろき窓にむかひます

  外吹く風は金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

  枯草の音のかなしくて
 煙は空に身をすさび
日影たのしく身をなよ

  鳶色とびいろの土かをるれば
 物干竿は空に往き
登る坂道なごめども

  青きをみなあぎとかと
 岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……
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今宵月は※(「くさかんむり/襄」、第3水準1-91-42)めうがを食ひ過ぎてゐる
済製場さいせいばの屋根にブラ下つた琵琶びはは鳴るとしも想へぬ
石炭の匂ひがしたつておぢけるには及ばぬ
灌木がその個性をいでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色べんがらいろの格子を締めた!

さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちてゐる、いやメダルなのかア
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやらう
ポケットに入れたが気にかゝる、月は※(「くさかんむり/襄」、第3水準1-91-42)荷を食ひ過ぎてゐる
灌木がその個性をいでゐる
姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を締めた!
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かなしい心に夜が明けた、
  うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたといふのだ?
  さてもかなしい夜の明けだ!

青い瞳は動かなかつた、
  世界はまだみな眠つてゐた、
さうして『その時』は過ぎつつあつた、
  あゝ、とほい遐いい話。

青い瞳は動かなかつた、
  ――いまは動いてゐるかもしれない……
青い瞳は動かなかつた、
  いたいたしくて美しかつた!

私はいまは此処ここにゐる、黄色い灯影に。
  あれからどうなつたのかしらない……
あゝ、『あの時』はあゝして過ぎつゝあつた!
  あをい、噴き出す蒸気のやうに。


それからそれがどうなつたのか……
それは僕には分らなかつた
とにかく朝霧めた飛行場から
機影はもう永遠に消え去つてゐた。
あとには残酷な砂礫されきだの、雑草だの
頬をるやうな寒さが残つた。
――こんな残酷な空寞くうばくたる朝にもなほ
人は人に笑顔を以て対さねばならないとは
なんとも情ないことに思はれるのだつたが
それなのに其処そこでもまた
笑ひを沢山たたへた者ほど
優越を感じてゐるのであつた。
陽は霧に光り、草葉の霜は解け、
遠くの民家にとりは鳴いたが、
霧も光も霜も鶏も
みんな人々の心にはまず、
人々は家に帰つて食卓についた。
  (飛行機に残つたのは僕、
  バットの空箱からを蹴つてみる)