梓川の上流(あずさがわのじょうりゅう)

      一

 明科あかしな停車場を下りると、さい川の西に一列の大山脈がそばだっているのが見える、我々は飛騨山脈などと小さい名を言わずに、日本アルプスとここを呼んでいる、この山々には、名のない、あるいは名の知られていない高山が多い、地理書の上では有名になっていながら、山がどこにくれているのか、今まで解らなかったのもある――大天井おてんしょう岳などはそれで――人間は十人並以上に、一寸でも頭を出すと、とかく口の端にかかる、あるいは嫉みのつちで、出かけた杭がたたきのめされるが、この辺の山は海抜いずれも一万有尺、劫初ごうしょの昔から間断なく、高圧力を加えられても、大不畏だいふいの天柱をそそりたてている。山下の村人に山の名を聞くと、あれが蝶ヶ岳で、三、四月のころ雪が山のはざまに、白蝶のはねを延しているように消え残るので、そう言いますという。遥に北へ行くと、白馬岳がそびえている、雪の室は花の色の鮮やかな高山植物を秘めて、千島桔梗ききょう、千島甘菜あまか得撫草うるっぷそう色丹草しこたんそうなど、帝国極北の地に生える美しいのが、錦の如く咲くのもこの山で、雪が白馬のはしる形をあらわすからその名を得たということである。白馬岳の又の名を越後方面では大蓮華山といっている、或人の句に「残雪や御法みのりの不思議蓮華山」とあるからは、これも一朶の白蓮華、晶々たる冬の空に、高くかざされて咲きにおうから、名づけられたのかも知れない。
 あわれ、清く、高き、雪の日本アルプス、そのアルプスの一線で、最も天に近い槍ヶ岳、穂高山、常念岳の雪や氷が、森林の中で新醸にいしぼる玉の水が、上高地を作って、ここが渓流中、色の純美たぐいありともおぼえない、あずさ川の上流になっている。
 土人はカミウチ、あるいはカミグチとも呼んでいるが、今では上高地と書く、高地はおそらく明治になってからの当字であろう、上も高地も同じ意味を二つかさねただけで、この地を支配している水や河という意義がない、穂高山麓の宮川の池の辺に穂高神社がまつってある、その縁起えんぎると、伊邪那岐命いざなぎのみことの御児、大綿津見おおわたつみの生ませたまう穂高見ほたかみみことが草創の土地で、みことは水を治められた御方であるから今でも水の神として祀られてます、神孫数代宮居を定められたところから「神垣内かみかきうち」と唱えるとある、綿津見は蒼海わだつみのことで、今の安曇あずみ郡は蒼海から出たのであろう、自分は土地に伝わっている神話と地形から考えて、「神河内かみこうち」なる文字を用いる、高地には純美なるアルプス渓谷の意味は少しもない、「河内こうち」は天竜川の支流和田川の奥を八重河内というし、金森長近が天正十六年に拓いた飛騨高原川沿道を河内路と唱えているから、この地に最もふさわしい名と考える。
 神河内の在るところは氷柱つららの如き山づたいの日本アルプスの裏で、信濃南安曇郡が北にちぢまって奥飛騨の称ある、飛騨吉城よしき郡と隣り合ったところで、南には徳本とくごう峠――松本から島々しましまの谷へ出て、この峠へ上ると、日本アルプスの第一閃光が始めて旅客の眼に落ちる――と、北は焼岳やけだけの峠、つづいては深山生活ずまい荒男あらしおの、胸のほむらか、硫烟の絶え間ない硫黄岳が聳えている、その間を水に浸された一束の白糸が乱れたように、沮洳じめじめ花崗みかげの砂道があって、これでも飛騨街道の一つになっている、東には前に言った穂高や、槍ヶ岳、やや低いが西に霞沢岳、八右衛門岳が立っている、東西は一里に足らず、南北は三里という薬研やげんの底のような谷地であるが、今憶い出しても脳神経が盛に顫動せんどうをはじめて来る心地のするのは、晶明、透徹のその水、自分にあっては聖書にも見えない創造の水、哲人の喉頭にもほとばしらない深思の水、この水を描いて見よう。

      二

 路傍の石の不器用な断片きれっぱしを、七つ八つ並べて三、四寸の高さと見ず、一万尺と想ってみたまえ、凸凹たかひくもあれば、※皺ひだ[#「皺」の「皮」に代えて「俊のつくり」、145-14]もあり、断崖もあって、自らなる山性をっている、人間の裳裾もすそに通う空気は、この頭上を避けて通るだろう、いかなる山も、その要素では石以上の趣味がない、これは自分の石の哲学であるが、実際、神河内渓流もかようなところで、四周を包囲して峻立する槍ヶ岳、穂高山、以下の高山は奇怪の石の塊というまでで不二山のような歴史や、讃美歌を有っていない、しかし山好きな自分の眼には、ただもう日本第一の創造と見える。