青年(せいねん)

 帳場の男が勘定を持って来た。瀬戸の話に、湯治場やなんぞでは、書生さんと云うと、一人前の客としては扱わないと云ったが、この男は格別失敬な事も言わなかった。純一は書生社会の名誉を重んじて茶代を気張った。それからお絹に多く遣りたい為めに、外の女中にも並より多く祝儀を遣った。
 宿泊料、茶代、祝儀それぞれの請取うけとりを持って来た女中が、車の支度が出来ていると知らせた。純一は革包に錠を卸して立ち上がった。そこへお上さんが挨拶に出た。敷居の外に手を衝いて物を言う、その態度がいかにもうやうやしい。
 純一が立って出ると、女中が革包を持って跡から来た。廊下の広い所に、女中が集まって、何か※(「口+耳」、第3水準1-14-94)き合っていたのが、皆純一に暇乞をした。お絹は背後の方にしょんぼり立っていて、一人遅れて辞儀をした。
 車に乗って外へ出て見ると、元日の空は晴れて、湯坂山にはもやが掛かっている。きょうも格別寒くはない。
 朝日橋に掛かる前に振り返って、坂井の奥さんの泊っている福住の座敷を見たら、障子が皆締まって、中はひっそりしていた。

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 鴎外云。小説「青年」は一応これで終とする。書こうと企てた事の一小部分しかまだ書かず、物語の上の日数が六七十日になったに過ぎない。霜が降り始める頃の事を発端に書いてから、やっと雪もろくに降らない冬の時候までぎ附けたのである。それだけの事を書いているうちに、いつの間にか二年立った。とにかく一応これで終とする。