晶子詩篇全集(あきこしへんぜんしゅう)

花子の植ゑた薔薇ばらなれば
ほんによう似た花が咲く。
色は花子のの色に、
花は花子のくちびるに、
ほんによう似た薔薇ばらの花。

花子の庭の薔薇ばらの花、
花が可愛かはいと、太陽も
黄金きんの油を振撒ふりまけば、
花が可愛かはいと、そよ風も
人目に見えぬ波形なみがた
薄い透綾すきやせに来る。

そばで花子の歌ふ日は
薔薇ばらも香りの気息いきをして
花子のやうな声を出し、
そばで花子の踊る日は
薔薇ばらもそよろと身をゆす
花子のやうなふりをする。

そして花子の留守の日は
涙をためた目を伏せて、
じつとうつ向く薔薇ばらの花。
花の心のしをらしや、
それも花子に生き写し。
花子の庭の薔薇ばらの花。


雪がしとしと降つてきた。
玩具おもちやくまを抱きながら、
小さい花子は縁に出た。

山に生れたくまの子は
雪の降るのが好きであろ、
雪を見せよと縁に出た。

くまは冷たい雪よりも、
抱いた花子の温かい
優しい胸を喜んだ。

そして、花子の手の中で、
玩具おもちやくまはひと寝入り。
雪はますます降りつもる。


汗の流れる七月は
蜻蛉とんぼも夏の休暇おやすみか。
街の子供と同じよに
避暑地の浜の砂に来て
群れつつ薄いそでを振る。

さい花子が昼顔の
花を摘まうと手を出せば、
これをも白い花と見て
蜻蛉とんぼが一つ指先へ
ついと気軽に降りて来た。

思はぬ事のうれしさに
花子の胸はとゞろいた。
うつくしいはねのある
さい天使がじつとして
花子の指に止まつてる。



鴨頭草つきくさの花、手に載せて
見れば涼しい空色の
花のひとみがさしのぞく、
わたしの胸のさびしさを。

鴨頭草つきくさの花、空色の
花のひとみのうるむのは、
暗い心を見とほして、
わたしのために歎くのか。

鴨頭草つきくさの花、しばらくは
手にした花を捨てかねる。
土となるべき友ながら、
我もをしめば花も惜し。

鴨頭草つきくさの花、となれば、
ほんにそなたは星の花、
わたしの指を枝として
しづかに銀の火をともす。



われは在り、片隅に。
ある時は眠げにて、
ある時は病めるごとく、
ある時は苦笑を忍びながら、
ある時は鉄のかせ
わが足にあるごとく、
ある時は飢ゑて
みづからの指をめつつ、
ある時は涙のつぼのぞき、
ある時は青玉せいぎよく
古きけいを打ち、
ある時は臨終の
白鳥はくてうを見守り、
ある時は指を挙げて
空に歌を書きつつ………
さびし、いとさびし、
われはあり、片隅に。



上野の鐘が鳴る。
午前三時、
しんしんと更けわたる
十一月の初めの或夜あるよるに、
東京の街のひくい屋根を越えて、
上野の鐘が鳴る。
この声だ、
日本人の心の声は。
この声を聞くと
日本人の心は皆おちつく、
皆静かになる、
自力じりき麻痺まひして
他力たりきの信徒に変る。
上野の鐘が鳴る。
わたしは今、ちよいと
痙攣けいれん的な反抗が込み上げる。
けれど、わたしの内にある
祖先の血の弱さよ、はかなさよ、
明方あけがたの霜の置く
木の箱のいへの中で、
わたしは鐘の声を聞きながら、
じつと滅入めいつて
筆の手を休める。
上野の鐘が鳴る。



かどに立つのは
うその苦学生、
うその廃兵、
うその主義者、志士、
馬車、自動車に乗るのは
うその紳士、大臣、
うその貴婦人、レディイ、
それから、新聞を見れば
うその裁判、
うその結婚、
さうして、うその教育。
浮世小路こうぢしげけれど、
ついぞまことはぬ。
[#ここで段組み終わり]
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 今年かしこくも即位の大典を挙げさせたまふ拾一月の一日いちじつに、この集の校正を終りぬ。読み返しくに、はづかしきことのみ多き心の跡なれば、あきらかにやはらぎたるあら御光みひかりもとには、ひときはだしぐるしき心地ぞする。晶子





晶子詩篇全集 終