晶子詩篇全集拾遺(あきこしへんぜんしゅうしゅうい)




別れてながき君とわれ
今宵あひみし嬉しさを
汲てもつきぬうま酒に
薄くれなゐの染いでし
君が片頬にびんの毛の
春風ゆるくそよぐかな。」
たのしからずやこの夕
はるはゆふべの薄雲に
二人のこひもさとる哉
おぼろに匂ふ月のもと
きみ心なきほゝゑみに
わかき命やさゝぐべき。」



やよをさなこよなれが目の
  さやけき色をたとふれば
夕のそらの明星か
  たわゝに肥えし頬の色は
濃染の梅に白ゆきの
  かゝれる色か唇の
深紅の色は汝をば
  はてなくめづる此をばの
ま心にしも似たるかな
  かたことまじり※[#「女+(「第-竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、U+59CA、9巻-305-下-12]様と
我が名よばるゝそのたびに
  あゝわがむねに浪ぞ立つ。
あゝさるにても幼子よ
  恋故くちし此をばが
よきいましめぞ忘れても
  枯野か原をひとりゆく
かなしき恋をなすなかれ
  千草八千草さきみてる
そのはなぞのにぬる蝶の
  たのしき夢は見るもよし
あゝそれとてもつかのまよ
  思へばはかなをさな子よ
など人の世にうまれ来し
  いつ迄くさのいつ迄も
かくてぞあらんすべもがな
  神のすがたをそのまゝに



生きての後ののちの身は
 何にならんと君は思ふ
  恋しき人はほゝゑみて
   我は花咲く木とならむ

さらばゆかしき桜木か
 朝日に匂ふさま見れば
  君が心にふさはしき
   すがたは外にあらじかし

さかりいみじき一ときの
 夢は昨日とすぎされば
  今日はとひこん人もなき
   心のうらを見んもうし

さらば軒端のたちばなか
 しづかふせやのうち迄も
  香あまねき匂ひこそ
   君が心のそれならめ

昔の恋を思ひねの
 夢のまくらに香りゆき
  たまも消ゆべくわび人の
   なげく涙を我は見じ

されば深山の楓にか
 千入にそむるくれなゐの
  もゆる思ひのある君と
   頼める我の違へりや

きみがかごとぞおかしさよ
 秋のもみぢと我ならじ
  立田の姫の御心に
   淡きと濃きの恨あり

うつろひやすき人の世に
 ときめく木々ぞうたてかる
  松の千年はたのまねど
   ゆるがぬ色のなつかしや

ミユーズの神のすべ給ふ
 岩間の清水わくほとり
  枝をかはして君と我
   松の大樹とならんかな

夏の山行く旅人に
 涼しき影をつくるべく
  いろうるはしき乙女子が
   恋のさはりをなげく時

うき世のうさ蔽ふべく
 若き詩人の木のもとに
  恋のうたはむ夕あらば
   清きしらべをともに合さん
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君埋れ木の時を得て
 花もみもあるかの君に
  とつぎますなるよろこびを
   ことほぐことば我れもてど

別れの今のかなしさに
 おつる涙をいかにせむ
  心弱きを今さらに
   あやしむ勿れ我が友よ

雲のよそなる西の京
 祇園あたりの高楼の
  おばしま近く彼の君と
   春を惜まん夕あらば

忘れ草生ふ住吉の
 松原つゞき茅渟の浦
  つらはなれたる雁金の
   音になくあたり忍べ君

あれかさのみ多き世に
 人の心のつらき時
  同じ思ひに泣く友の
   はるかにありと知れよかし

松の葉ごしの夕月に
 君が片ほの青きかな
  かのあづまやのともしびは
   我がまたゝきに似たらんか

ふたりのたてる袖がきに
 絶えず散り来る白梅の
  再びさかむその春に
   我は逢ふとも思ほえず

忘るゝなかれこの夕
 忘れ給ふな此夕
  鴨の流れは清くとも
   さがの桜はいみじかるとも



ほそ筆もつ子
え堪へんや
友のつひの身
調てうを問ふな
長き詩みじかき歌

ある日ある時
ねたしと見し
そのゑすがた
手筥に今
のちも秘めむ

理想の友
姉と謂ひて
うなじまくに
このかひな
あまりかよわし

とかば髪
四尺はあらむ
胸により
わななくたけなが
あゝ裏くれなゐ

真玉に似たる
涙のおもて
ぬぐはんいざ君
あけの袖口
われも少女をとめ

日はいつ六日むいか
理想おもひわかき子
葬り終んぬ
霧ふかき京の山
あゝ恨み
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平調の琴柱ことぢのくばり
月うすき今宵の春の
おもひにあはず歌のりかぬる

神こよひ人恋ひそめし
子の指にふれて立つ音と
ゑみかたぶけて聴きますらむか

手はすががき琴よ忘るな
海棠のべにをしぼりて
のらぬこの歌絹に染めおかむ



ともしび危し
河風おほはむ
紫の袖
そがひを許せ暫し

ともし火ようなし
鬢いとへとや
君その小指をゆび
かりに労をとれな