金属人間(きんぞくにんげん)

   こんな文章


 およそ世の中には、人にまだ知られていない、ふしぎなことがずいぶんたくさんあるのだ。
 いや、ほんとうは、今の人々に話をして、ふしぎがられる話の方が、ふしぎがられない話よりもずっとずっと多いのだ。それは九十九対一よりも、もっととびはなれた比であろうと思う。
 つまり、世の中は、ふしぎなことだらけなのだ。しかし、そう感じないのは、みなさんがたがどこにそんなふしぎなことがあるか知らないからだ。また、じっさいそのふしぎなものに行きあっていても、それがふしぎなものであることに、気がつかない場合が多い。
 それからもうひとつ――。
 人間の力では、どうにもならないことがある。それは運命ということばで、いいあらわされる。この運命というやつが、じつにふざけた先生である。運命に見こまれてしまうと、お金のない人が大金持になったり、またはその反対のことが起こったり、いや、そんなことよりも、もっともっと意外なことが起こるのだ。
 宝くじの一等があたる確からしさを、いわゆる確率かくりつ法則ほうそくによって計算することができる。その法則によって出てきたところの「宝くじの一等があたる確からしさ」の率は、万人に平等である。その当せん率のあまりにも低いことを知って、万人は宝くじを買うことをやめるはずになっている。その確率の法則を作った学者や、それを信奉しんぽうする後続こうぞく学究学徒がっきゅうがくと推論すいろんによれば……。
 だが、事実はそうでなくて、宝くじがさかんに売れている。それはなぜであろうか。それは、とにかく事実一等にあたって二十万円とか百万円とかの賞金をつかむ人が、毎回十人とか二十人とか、ちゃんと実在じつざいするので、自分もそのひとりになれないこともないのだと、さてこそ宝くじを買いこむのである。
 その人たちの感じでは、当せん率は、確率の法則が算定してくれる率よりも、何百倍か何千倍か、ずっと多いように感ずる。これはいったいなぜであろうか。
 一言でいうと、世の中の人々は、確率論をまもる学者よりは、ずっと正しく、運命を理解しているからだ。すなわち運命がおどけ者であるということを、わきまえているのである。とうぜんとっぴょうしもない出来事をおこさせるおどけ者の運命は、案外わたくしたちの身近に、うろうろしているのだ。奇蹟きせきといわれるものは、案外たびたび起こるもので、わたくの感じでは、一カ月にいっぺんずつぐらいの割合で、奇蹟がおこっているのでないかと思う。
 ふしぎと運命と、そしてひんぱんに起こる奇蹟とに「世の人々よ、どうぞ気をおつけなさい」と呼びかけたい。
   一月十日
金属Qを創造する見込みのつきたる日しるす
理学博士 針目左馬太はりめさまた


   次の語り手


 右にかかげた日記ふうの感想文は、その署名によって明らかなとおり、針目博士はりめはくしがしたためたものである。
 これは博士の書斎にある書類棚しょるいだなの、原稿袋の中に保存せられていたもので、後日ごじつこれを発見した人々の間に問題となった一文である。
 みなさんは、針目左馬太博士のことについて、今はもうよくご存じであろうから、べつに説明をくわえる必要はない。だが、この事件の起こった当時においては、この若き天才博士のことを、世の人々はほとんど知らなかったのである。
 博士は、わずか二十三歳のときに博士号をとっている。その論文は「重力じゅりょくの電気的性質、特に細胞分子間さいぼうぶんしかんにおけるその研究」というのであった。これは劃期的かっきてきな論文であったが、またあまりにとっぴすぎるというので、にがい顔をした論文審査委員もあった。しかしけっきょく、これまでにこれだけのすぐれた綿密めんみつ境地きょうちを開いた学者はいなかったので、この博士論文は通過した。そのかわり、審査に一年以上を要したのであった。
 その間に針目博士――いや、まだ博士にはなっていない針目左馬太学士はりめさまたがくしは、大学の研究室を去って、みずから針目研究室を自分の家につくり、ひたむきな研究に没頭ぼっとうした。
 さいわいにも、針目博士の家は、曾祖父そうそふの代からずっと医学者がつづいており、曾祖父の針目逸斎いっさい、祖父の針目寛斎かんさい、父の針目豹馬ひょうまと、みんな医学者であり、そして邸内に、古めかしい煉瓦建れんがだてではあるが、ひじょうにりっぱな研究室や標本室、図書室、実験室、手術室などがひとかたまりになった別棟べつむねの建物があったのである。当主とうしゅである彼、左馬太青年がそこを仕事場にえらんだことは、しごく自然であった。
 不幸なことに――他人が見たら――かれは、もっか身よりもなく、ただひとりであった。両親と弟妹ていまいの四人は、戦争中に疎開先そかいさき戦災せんさいにあって死に、東京で大学院学生兼助手をして残っていた、かれ左馬太だけが生き残っているのである。そういう気の毒なさびしい身の上であったが、かれ自身はいっこう気にかけていないように見え、その広い邸宅に、四人の雇人やといにんとともに生活していた。