この夏(このなつ)

 これから書こうとするのは、筋も何もない漫筆だ。今日など、東京へ帰って見ると、なかなか暑い。いろいろ気むずかしいことなど書きたくない。それゆえ、これを読んで下さるかもしれぬ数多い方々の中に、私の親しい友達の一人二人を数えこみ、手紙のように、喋くるように楽なものを書きたい。若しそれが一寸でも面白ければ幸です。
 先々月、六月の下旬、祖母の埋骨式に、田舎へいっていた。長年いきなれた田舎だが、そこの主人であった祖母が白絹に包まれた御骨壺となり、土地の人がそれに向って涙をこぼすような工合になると、却って淋しい。人々が集り、暑い夏を混雑するのも悲しい。私は、気抜けしたように黙りこんで、広々とした耕地を瞰渡みわたす客間の廊下にいた。茶の間の方から、青竹を何本切らなければならぬ、榊を何本と、神官が指図をしている声がした。皆葬式の仕度だ。東京で一度葬式があった。この時、私は種々深い感じを受けた。二度目だけれども、やはりああいう声を聴くと侘しい水を打ったような心持を感じる。――
 午後、ひとりぼっちで祭壇の前にいると、手紙が来た。東京のうちから来た。私は嬉しく、裏表をかえして見てから、封を切った。本当に、嬉しい手紙というものは、何ゆえ、ああも心を吸いよせ、永い道中で封筒の四隅が皺になり、けばだったのまでよいものだろう!
 手紙は私の留守にフダーヤが伊豆に出かけたこと、あまり愉快でなかったこと、特に宿屋の隣室に変な一組がいて悩殺されたことなどを知らした。彼女は、腕白小僧のような口調でそれ等の苦情をいっている。私は、彼女の顔つきを想像し、声に出ない眼尻の笑いで微笑した。
「癇癪もちさん! まあまあそういきばらずに!」
「帰りに鎌倉へ廻り、家を見て来た。ほら、いつぞや、若竹をたべた日本橋の小料理や、あすこの持家で、気に入るかどうか、屋根は茅です。」そして、その辺の地理の説明がこまかに書かれていた。鎌倉といっても大船駅で降り、二十何町か入った山よりのところ、柳やという旅籠屋があって風呂と食事はそこで出来ることなど。「思いがけないことには、テニス・コートと小さい釣堀がある、コートはいいでしょう?」
 私は、フダーヤの親切を大層うれしく感じた。東京の家は、家の建ものとしてわるくはないのだが、両隣が小工場であった。一方からは、その単調さと異様な鼓膜の震動とで神経も空想も麻痺するモウタアの響がプウ……と、飽きもせず、世間の不景気に拘りもせず一日鳴った。片方の隣では、ドッタンガチャ、ドッタン、バタパタという何か機械の音に混って、職工が、何とか何とかしてストトン、ストトンと流行唄を唄った。一人が低い声で仕事とリズムを合わせて唄い出すと、やがて一人それに加わり、また一人加わり、終には甲高な声をあげ、若い女工まで、このストトン、ストトンという節に一種センチメンタルな哀愁さえ含ませて一同合唱する。
 何とかして通やせぬストトン、ストトン、機械がドッタン、ガチャ、ドッタンバタと伴奏する――私は机の前に坐り、その小工場の内部の有様や、唄っている女工の心持を考えたり、稀には「二十六人と一人」を思い出したりする。けれども、いつもは騒々しい。実にやかましい。堪えがたく乱される。私はフダーヤにいった。
「これからはどんなことがあっても日曜になんぞ家を見ては駄目ね、あのひっそり閑としていたことはどう? カルピスくらいじゃあとてもおっつかないわ!」
「ハハハ、そのカルピスももうありゃあしない。さあ、垣根のところへ行って来なさい」
 二人は、悲しき滑稽で大笑いをした。カルピスを、引越して間もなくその隣から貰った。やかましくする挨拶として。私は、
「私カルピスはきらいよ」
と、いった。
「変に白くてすっぱいものよ」
「へえ、だって初恋の味がするっていうじゃあないの、初恋はそんな? すっぱい? どれ」
 フダーヤは、私より勇敢だから、すぐお湯をまして飲んだ。私は、彼女の顔つきを見守りながら訊いた。
「どう?」
「一つのんで御覧なさい」
「――酸っぱい?」
「飲んで御覧」
 私は、彼女のしたとおりコップに調合し、始め一口、そっとなめた。それから、ちびちび飲み、やがて喉一杯に飲んで、白状した。
「美味しいわ、これは案外」
 嫌いな私が先棒で、二三本あったカルピスが皆空になった。
「ねえ一寸、もうなくてよ」
「困ったな、食い辛棒にまた一つ欲しいものが殖えられては困ったなあ」
「いいことがある! さああなた縁側まで出ていらっしゃい。よくて、私は庭に降りるから」
「どうするの」
「内と外とで一つの会話をするのよ。私の声はよく徹るからきっと効果があってよ。私がね、一寸大きな声でカルピスが飲みたいな、というの、あなたが、もうないと返事をするのよ、そうすると、私がなるたけ、あっちの窓に向って、もうカルピスはないの? だって私もっと欲しいわ、とはっきりはっきりいうのよ、ラディオのアナウンサアのように」