釈迢空に与ふ(しゃくちょうくうにあたふ)

 君が歌百首を發表すると聞いたとき僕は嬉しいと思つた。いよいよ「アララギ」三月號が到來して君の歌を讀んでみて僕は少し殘念である。遠く離れて、君に面と向つて言へないから今夜この手紙を書かうと思つた。
 つまり心の持方が少し浮いてゐないか。目が素どほりして行つて居ないか。歌ひたい材料があり餘るほどあつても、棄て去るのが順當だと思はれるのが大分おほい。苦勞して創めた『連作』の意義がだんだん濁つて來ると、あぶないと思つてゐる。
『萬葉調』は僕等同志の歩いて來た道であつて、又歩くべき道である。君の今度の歌は、なんだか細々しく痩せて、少ししやがれた小女こをんなのこゑを聞くやうである。僕はもつと圖太づぶといこゑがいいやうに思ふ。おほどかで、ほがらかな、君のいつぞやの歌のやうなのがいいと思ふ。「アララギ」調は流行したけれども、もとを云へば『擬古』と稱してみんなが默殺してゐたのは君も知つてゐる。そんなことにはかまはんで、忍苦して來たのは君も僕もそれから同志の面々である。ところが近ごろまた『萬葉迷執』などの形容詞を僕らの態度に冠らせて呉れる人も出て來てゐる。僕らは實のところまだまだ萬葉に執していいのである。君のこんどの歌は古語は使つてあつても、萬葉調でないのが大分あると僕は思ふ。古語は使はんでも萬葉調であるがいい、それと反對である。
 君はいつか『口語的發想』のことを云つたが、あれが一部分濁つて今度の歌に出て居る。リズムと謂つても『阿房陀羅リズム』に近きこと、新しき俳句と似てゐるやうであつて、短歌の形式に合はない。短歌では矢張り『遒勁流動リズム』であるのが本來で、それが『萬葉調』なのである。僕が『形式』のことをいふと、外的、因習と他の人がいふと思ふが、短歌の體に處るのが本來で、短歌として優れて居ればそれが本望であらねばならぬ。これは諦念説どころではなくて、實は精進の到達點であると思つてゐる。短歌が阿房陀羅ぶしに化して何になる。
 結句に四三調のものがなかなかある。それがどうも輕薄にひびく。僕は井上通泰さんのやうに、結句は三四調であるべきだなどとは云はんが、今度の歌の結句の四三調には肯んじがたいのがある。われ等の祖先の作に、『雲たちわたる』とか、『打ちてしやまむ』とか、『のどには死なじ』などの遒勁流轉の結句があるのに、君の歌のはなぜさう行かないのであらうか。
 クールベのエトルダの斷岩のやうな、海波圖のやうな、ロダンの考へる人のやうな、レムブラントの自畫像のやうな、ああいふところに目を据ゑたこともあるが、力及ばずに了つてしまつて、今おもふと恥かしい事がある。それゆゑ僕はこれを同志に望んでゐる。同志に望むのは一番自然だと思ふからである。君はさう思はないか。
 僕は今二軒長屋のせまいところに住んでゐて、夜になると、來訪者のないときははやく床をのべてその中にもぐつて芭蕉や、「高瀬舟」などを讀んでゐる。壁一重の向う長屋には二夫婦がゐて、若夫婦が二階に寢てゐる。寢がへりするのも手にとるやうにきこえる。寂しい生活をしてゐると、官能が鋭敏で鈍麻はしない。かういふときには芭蕉のものは割合にわかる。君のやうに性欲の淡い、僧侶のやうな生活を實行してゐる人が、なぜこんどの歌のやうにさうざうしく痩氣味の歌を作るだらうか。
※(白ビュレット、1-3-31)※(ゴマ、1-3-30)』などの切目が間々あるが、あれも短歌を三行に書くのと似てゐて少し面白くない。又今度の歌には少し小きざみに過ぎるやうなのが多い。また固有名詞でも、『思案外史』はまだいい。『金太郎』『お久米』『お花』『祐輔』などは、どうも歌調を輕くさせると思ふ。短歌一首は大體連續してゐて、そしてもつと圖太い調べであるのが本來のやうな氣がしてならない。粟粒數よりも多い世間並人は、少し古語でも這入つてゐると、すぐ古調とか、擬古調とか、萬葉迷執とか云つてしまふが、あれは僕ら同志の説とはちがふのであつて、僕らの『萬葉調』は言葉の『意味あひ』に止まつてゐず、『語氣』に注意してゐる筈である。君のこのたびの歌にはその『萬葉びとの語氣』と相通ずる點が割合に少いやうな氣がするが君はどう思ふ。
 それから世間びとはかう云ふ。『萬葉集に取るべき點はその精神であつて、その外形ではない』こんな事をいふ。かれ等の謂ふ『精神』といふのは、極めて抽象的な、肉體からふらふらと拔出でて佛壇あたりを迷つてゐる魂魄こんぱくみたやうなもので、僕らには何の役にも立たぬ筈である。萬葉集の『ことば』を離れて、萬葉びとの『語氣』を離れて、萬葉集の『精神』を云々するのは道ぐさ食ひの説だと思ふ。そして眞淵の『丈夫ぶり』をば僕らは新らしい説として創造すべき筈である。これは君は確かに贊成して呉れる。
 以上の言をもつて、『概論』を君に向つて説いたと取られると僕はひどく恥かしいのである。君はこのたび歌でいろいろの新しい『試み』をしてゐる。それは僕の此迄思ひ及ばなかつた諸點に到つてゐる。その努力には感謝してもその實質には贊し難いといふのであつて、僕は近ごろ「萬葉集檜嬬手」を送つて貰つて君の守部論を讀んだ。そのなかに、『彼の文藝上の作物は、歿後冬照の出版した橘守部家集に、長歌短歌ともに殘つてゐる。彼の一生の事業の中で、恐らく一番價値の少いのは、此方面の創作であつたのであらう。あれほどに記紀萬葉をはじめ、律文要素のある書物に沒頭してゐた人で、而も其影響が單に、知識或は形式上の遊戲として表れてゐても、内的に具體化せられてゐないのは虚の樣な矛盾である』といふのがある。此は君の守部論中で、僕にとつて、嘗ても現在も一番利いた文章であつた。守部の作歌と君の作歌とを同列に置くことは僕は死すとも能はない。ただ『あれほど記紀萬葉に造詣深い』といふことは君自身に冠らせることは虚僞ではあるまい。そして『一生中一番價値の少い』をば君の作歌に冠らせることが若し虚僞でなかつたら、僕は殘念なのである。