聖女人像(せいにょにんぞう)

 深々と、然し霧のように軽く、闇のたれこめている夜……月の光りは固よりなく、星の光りも定かならず、晴曇さえも分からず、そよとの風もなく、木々の葉もみなうなだれ眠っている……そういう真夜中に、はっきりと人の気配のすることがある。どこかで、ガラガラと雨戸を繰る音がする。ただそれきり。どこかで、数音の人声がする。ただそれきり。どこかで、廊下を歩く足音がする。ただそれきり。それきりだが、それ故にまた、深夜の中にくっきりと浮き出るのだ。
 私の夢もそれに似ている。茫漠たる眠りの中に、瞬間の形象がくっきりと浮き出す。――海岸の深い淵のなか、水面から僅かにのぞき出てる、苔むした滑らかな巌の上に、誰かがじっとしがみついている。――幾抱えもある巨木の根本に、何を為すでもなく、何を見るでもなく、永遠の彫刻のように、誰かが静かに佇んでいる――。荒野の中を、誰かが歩いている。片方は底知れぬ深い断崖である。もし覗きこめば、視線と共に体まで底へ引きずりこまされそうだ。危い。ただ歩いている。――誰かが呪文のようなことを唱える……大凶と大吉との交叉する一刻だ。悪魔になりたいか、神になりたいか。息をひそめよ、息をひそめよ。
 そういう種類の夢を、私はしばしばみる。昼となく夜となく、昏迷に似た眠りのなかに、それらの形象が明瞭に浮き出し、それらを、或は眠りながら、或は眼覚めながら……私は見戌るのである……遂にいずこかへ消え失せてしまうまで。
 私は病気らしい。寝つくというほどではないが、常に寝床を敷かして、気の向くままに起きたり寝たり、ぶらぶらしている。普通の通念による病気かどうか、実はそれがまだはっきりしないのだ。――一ヶ月あまり雨の一滴もなく、異常な炎熱が続いた、その暑気あたりかも知れない。そういう暑中に、過度の精神労働をした、その疲労かも知れない。多忙なあまり、手当り次第に飲んだ酒類の中の、メチールアルコールが体内に蓄積した、その作用かも知れない。或は、体のいずこかにひそかに巣くってる細菌か、内臓のいずれかの人知れぬ故障か、脳髄の一部分の組織の変質か、そういうものに依るのかも知れない。いや、それらのいずれでもなかろう。恐らくはそれらすべての総合だろう。だから私は医者に診て貰わないのである。明瞭な一定の疾患ではないのだ。むしろ、それは私にとっては休養なのだ。休養が病識らしいものに転化したのかも知れない。仕事が一段落ついてから取った休暇が、心身の緊張を一時に弛緩さしたのだとも言える。
 長い炎熱のあと、遂に雷雨が来た。大したものではなく、その後に豪雨を得て大地は初めて蘇ったのだが、その時は然しほっと息がつけた。雷鳴と電光を伴いながら、沛然と降ってからりと霽れるのではなく、じわじわと降った。四五十分後には細雨となった。縁側の先端の軒先に、高く伸びた夾竹桃の数本がある。その根本すれすれに、軒の屁から水滴が垂れた。そこに、大きながま蛙が出て来て、水滴を受けていた。前足を立て、後足で蹲まってる、その頭から背中に、しきりに水滴が垂れる。大きな腹部の背面に垂れると、ぼこりぼこりと音がする。蛙は時々、頭を動かし、向きを変える。だが水滴の落ちる場所を離れない。餌食の昆虫を待ち受けてるのであろうか。単に水滴を浴びてるのであろうか。
 のっそりしたその蛙の遅鈍さが、それを一心に見戌ってる私を嘲るのだ。蛙には蛙の本能的な意図があろう。見つめてる私には、自ら自分を凝らして血行が悪くなり、一種の憔悴のみが残される。ばかばかしいことだ。蛙と同じように、待望の雨滴を楽しめばよかったのだ。蛙の如く遅鈍になれ。
 敷き放しの寝床に転がっていると、庭の木立の影から忍び寄ってくる凉気が、もう既に感ぜられる。だが、私自身はどうしてこう風通しが悪いのか。――押入の横の袋戸棚の上には、莫大な印刷物の堆積がある。研究所から自宅へまで氾濫してきた資料なのだ。第一次世界大戦後から、満州事変、日華事変、太平洋戦争、それから戦後に至るまでの、日本の社会情勢についての調査資料だ。社会情勢といっても、思潮や道徳や風俗を通じて観らるる人の心の在り方が中心問題である。そのいずこ如何なる部面にも、実に風通しが悪かった。そういう息苦しさが、調査の重荷を一先ず肩からおろした今でも、なお私につきまとってるのであろうか。
 結論として、政治の愚劣さ、制度の愚劣さに、いつとはなく突き当った私は、蛙の遅鈍さ、周囲への無関心さに、心惹かれ、同時にまたそれから嘲笑される。――こういう時には、一人静かに酒を飲むがよい。安物だけれどウイスキーならいささか蓄えがある。
 婆やは、いつでも、どんなことでも、私の言う通りにしてくれる。用をすますと三畳の室にひっこんで、何かこそこそ仕事をしている。
 然し久子はそうはいかない。訪れてくると、無断で私のところへ飛びこんで来る。何か気に入らぬことがあれば「先生、また……、」と言う。――学校の教師でも豪い著述家でもない私は、その先生という言葉に擽られたものだが、いつしか馴れてしまった。