妾の半生涯(わらわのはんせいがい)

     はしがき

 昔はベンジャミン・フランクリン、自序伝をものして、その子孫のいましめとなせり。操行に高潔にして、業務に勤勉なるこの人の如きは、まことに尊き亀鑑きかんを後世にのこせしものとこそ言うべけれ。しょうの如き、如何いかに心のおごれることありとも、いかで得てくわだつべしと言わんや。
 世に罪深き人を問わば、妾は実にその随一ならん、世に愚鈍おろかなる人を求めば、また妾ほどのものはあらざるべし。よわい人生の六分ろくぶに達し、今にして過ぎかたかえりみれば、行いし事として罪悪ならぬはなく、謀慮おもんばかりし事として誤謬ごびゅうならぬはなきぞかし。羞悪しゅうお懺悔ざんげ、次ぐに苦悶くもん懊悩おうのうもってす、しょうが、回顧をたすものはただただこれのみ、ああ実にただこれのみなり
 懺悔の苦悶、これをいやすの道はただおのれを改むるよりにはあらじ。されど如何いかにしてかその己れを改むべきか、これいつの苦悶なり。苦悶の上の苦悶なり、苦悶を愈すの苦悶なり。苦悶の上また苦悶あり、一の苦悶を愈さんとすれば、生憎あやにくに他の苦悶来り、しょうや今実に苦悶の合囲ごういの内にあるなり。されば、この書をあらわすは、もとよりこの苦悶を忘れんとてのわざにはあらず、いな筆をるその事もなかなか苦悶のたねたるなり、一字は一字より、一行は一行より、苦悶は※(二の字点、1-2-22)いよいよまさるのみ。
 苦悶くもんはいよいよ勝るのみ、されど、しょうあながちにこれを忘れんことを願わず、いななつかしの想いは、その一字に一行に苦悩と共に弥増いやますなり。懐かしや、わが苦悶の回顧。
 おもえば女性の身のみずかはからず、年わかくして民権自由の声にきょうし、行途こうと蹉跌さてつ再三再四、ようやのち半生はんせいを家庭にたくするを得たりしかど、一家のはかりごといまだ成らざるに、身は早くとなりぬ。人の世のあじきなさ、しみじみと骨にもとおるばかりなり。もし妾のために同情の一掬いっきくそそがるるものあらば、そはまた世の不幸なる人ならずばあらじ。
 しょうが過ぎかた蹉跌さてつの上の蹉跌なりき。されど妾は常にたたかえり、蹉跌のためにかつて一度ひとたびひるみし事なし。過去のみといわず、現在のみといわず、妾が血管に血の流るる限りは、未来においても妾はなお戦わん。妾が天職は戦いにあり、人道の罪悪と戦うにあり。この天職を自覚すればこそ、回顧の苦悶、苦悶の昔もなつかしくは思うなれ。
 妾の懺悔ざんげ、懺悔の苦悶これをいやすの道は、ただただ苦悶にあり。妾が天職によりて、世とおのれとの罪悪と戦うにあり。
 先に政権の独占をいきどおれる民権自由の叫びに狂せし妾は、今は赤心せきしん資本の独占に抗して、不幸なる貧者ひんしゃの救済にかたむけるなり。妾が烏滸おこそしりを忘れて、えて半生の経歴をきわめて率直に少しく隠す所なくじょせんとするは、あながちに罪滅ぼしの懺悔ざんげえんとにはあらずして、新たに世と己れとに対して、妾のいわゆる戦いを宣言せんがためなり。
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  第一 家庭


 一 まがいもの

 しょうは八、九歳の時、屋敷内やしきうちにて怜悧れいりなる娘とめそやされ、学校の先生たちには、活発なる無邪気なる子と可愛がられ、十一、二歳の時には、県令学務委員等ののぞめる試験場にて、特に撰抜せられて『十八史略』や、『日本外史』の講義をなし、これを無上の光栄と喜びつつ、世に妾ほど怜悧なる者はあるまじなど、心ひそかに郷党きょうとうに誇りたりき。
 十五歳にして学校の助教諭を托せられ、三円の給料を受けて子弟を訓導するの任に当り、日々勤務のかたわら、復習を名として、数十人の生徒を自宅に集め、学校の余科を教授して、生徒をして一年の内二階級の試験を受くることを得せしめしかば、大いに父兄の信頼を得て、一時はおさおさ公立学校をしのがんばかりの隆盛を致せり。
 学校に通う途中、妾は常に蛮貊わんぱく小僧らのために「マガイ」が通る「マガイ」が通るとののしられき。この評言の適切なる、今こそ思い当りたれ、当時しょうは実に「マガイ」なりしなり。「マガイ」とは馬爪ばづ鼈甲べっこうに似たらしめたるにて、現今の護謨ゴム象牙ぞうげせると同じく似て非なるものなれば、これを以て妾を呼びしことの如何いかばかり名言なりしかを知るべし。今更恥かしき事ながら妾はその頃、先生たちに活発の子といわれし如く、起居ききょ振舞ふるまいのお転婆てんばなりしは言うまでもなく、修業中は髪をいとまだにしき心地ここちせられて、一向ひたぶるに書を読む事を好みければ、十六歳までは髪をりて前部を左右に分け、衣服までことごと男生だんせいの如くによそおい、しかも学校へは女生ととものうて通いにき。近所の小供こどもらのこれをて異様の感を抱き、さてこそ男子とも女子ともつかぬ、いわゆる「マガイ」が通るよとは罵りしなるべし。これをおもうごとに、今も背に汗のにじむ心地す。ようよう世心よごころの付きめて、男装せし事の恥かしく髪を延ばすに意を用いたるは翌年十七の春なりけり。この時よりぞ始めて束髪そくはつの仲間入りはしたりける。