北支物情(ほくしぶつじょう)

     旅行前記

 今度文芸春秋社が私に北支戦線を見学する機会を与へてくれたことを何よりもうれしく思ふ。
 特派員といふ名義であるが、私のやうなものがジヤアナリストとしての使命を果し得るかどうか疑問である。この点は、社でも多くの期待はかけてゐないらしいから、甚だ肩の荷が軽いわけである。
 私は、むろん、作家として眼近に戦争現地の面貌を凝視し、そこに想像を絶した天地の呼吸を感じるであらう。その印象をなるべく具体的に細かくノートするつもりである。
 こゝで断つておきたいのは、私がどれほど「客観的」であらうとしても、それは恐らく無駄であらうといふことである。云ふまでもなく、私は「日本人として」此の戦争に対する外はないからである。現実の報告が国家のためにも国民のためにも害あつて益なき場合、私はたゞ沈黙するのみである。第一に、私はこの戦争が先づ何よりも祖国に幸ひをもたらすものであることを祈る。犠牲はたゞそれのみによつて尊いのである。
 戦塵を浴びてはじめて疑問のはれることもあるであらう。私は軍人の家に生れ、自分も軍人として青年期を過し、今なほ在郷軍人としての覚悟はもつてゐる。私は、日本の軍隊が精鋭無比である理由を夙に学び知つてゐるが、日本人の性能プラス軍人精神といふものが実戦に於てどんな力を発揮するかといふことを、いろんな面で観察してみたい。つまり心理的にはその複雑さについて、道徳的には例へば勇気の質について、若干の考察をめぐらすことができるであらう。
 北支作戦の完全な成功をわれわれは信じてゐる。戦後に来るものはなにかといふことについて、今、人々は多く語つてゐるやうであるが、私には無論、そんなことを語る資格はない。たゞ、それぞれの専門家の言葉に耳を傾ける興味をもつてゐるだけである。従つて、私の眼で視、暇があれば適当な人物に訊して、現在この地方に動きつゝあるものを探り得るとすれば、それは、単に、日支両国民の共通の希望となるべき将来の文化的工作が如何なる意図と方法によつて築かれつゝあるかといふことである。
 この報告は、努めて厳正に且つ自由になされなければならぬと私は思ふ。国を挙げての決意と無名戦士の幾多の血によつて購ひ得たひとつの結果について、わが同胞は等しく責任を分たねばならぬからである。
 私の比較的親しくしてゐた友人の幾人かゞ相次いで召集に応じ、何れも立派な門出であつた。彼等のうちの三人が、つい二三日前、殆ど日を同じくして二人は戦死し、一人は重傷を負つた。感慨無量である。
 北支各方面の戦線に活躍しつゝある部隊名を、新聞で毎日のやうに見る。幼年学校や士官学校で机を並べてゐた連中が、それぞれもう聯隊長級で、軍記風に云へば、駒を陣頭に進めてゐることがわかつた。さぞ満足であらうと思ふ。
 幸ひに便を得て、これらの旧同僚の後を追ふことができたら、是非、その機会を逸すまい。手柄話を聴くのも面白からうが、陣中閑談に時を過したら一層妙である。「貴様、いくさの邪魔をしに来たか」などと云はせてみたい。
 私は先日来、若い学生たちに接する毎に次のやうな問ひを発した。
「君が若し北支に派遣されたとしたら、どういふところを一番看て来たいと思ふか?」
 彼等はめいめいに面白い、或は平凡な意見を吐いたが、左の二項だけは、異口同音に、殆ど全部がこれをあげた。そのひとつはわが軍奮戦の実況、もうひとつは日本軍を迎へる支那民衆の表情。
 前者は、当り前のことゝして別に取りたてゝ云はないものもあつたが、後者は、これこそ、いろいろなニユアンスを含めて例外なく知りたがつてゐる事実であることがわかつた。
 そこで、私が痛切に感じたことは、新聞の報道が如何に統制されてゐても、その統制され方によつては、銃後の国民は却て報道の裏を知りたがるものだといふことである。
 さういふ私自身、決してその裏をのぞかうなどといふ好奇心はなく、また、そんな裏があらうとは信じないが、宛も秘すべき裏があるかの如き印象を与へる一面的な誇張粉飾は、将来、報道者も慎まなければならぬと思ふ。民衆は案外、ものを正しく感じ、意味を深く察する能力をもつことを銘記すべきであり、早く云へば、それほど御心配には及ばぬのである。

 私は、外国の観戦武官(現在さういふものがあるかどうか知らぬ)といふものが、どんな顔をしてこの連日の戦闘を眺め暮してゐるか、できれば、そばへ行つてその顔つきをのぞいてやりたい。
 それから、音にきく北京の都を、その風物を、ゆつくりとはいかぬまでも、しみじみと訪れたい。
 保定、大同、徳州などいふ城市も一見の価値があらう。
 石家荘とやらはもう落ちてゐるかどうか。
 虎列剌の予防注射をすませた。
 十一日の正午神戸を出る塘沽行の船に、もう部屋がとつてある。(十月十日夜)


 いよいよ報告をつゞらねばならぬ。が、私は一切の興奮と御座なりを避け、事実を観たまゝに語りたい。ところが、実を言ふと、第一に、暇が十分でなかつたからでもあるが、予定の行動を取ることができず、第二に、少しは何かを観たとは思ふが、いざそれを筆にするとなると、どうしても、今書くのは早過ぎるといふ気がし、それも自分のためばかりではなく、印象がすべて厳粛な歴史の批判を根柢とせねばならぬ関係から、主観的な物言ひは慎まねばならぬといふ、甚だ厄介な責任感にしばられてしまひ、平凡な記事でお茶を濁すことになりさうだ。