「悲劇喜劇」の編輯者として(「ひげききげき」のへんしゅうしゃとして)

 今日までかういふ種類の雑誌があつたかどうか、いはゆる「公器」としては、あまりに個人本位であり、いはゆる「同人雑誌」としては、あまりに門戸開放に過ぎると思はれる、一雑誌の存在は、当今、少しく時代錯誤の観がないでもないが、流行は必ずしも一世の識者を悉く眩惑し去るものではないと思ふから、私は、好んで自分の立場を守ることにした。
 敢て野心的な言葉を弄するなら、私は、この雑誌によつて、日本の新劇運動に一つの新しい方向を与へようと思つてゐる。
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 シエイクスピイヤの「翻案」とイプセンの「紹介」より出発した日本の新劇史は、少くとも結論に到達してゐる。
 クレイグ、ラインハルトを経て意識構成派にミザンセエヌ(舞台構成)の理論は、徒らに写真師をしてマグネシウムをたかしめたに過ぎない。
 その証拠に、われ/\の周囲は、われ/\の友人は、遂に劇場に足を向けることを断念してゐる。
 かれ等はしかも活動写真だけ観る連中である。音楽会へなら行く連中である。勿論普通以上の読書家である。殊に戯曲全集は幾通りも取つてゐる連中である。
 なぜ芝居を観に行かないか。答へは同じである。曰く「退屈だ」。曰く「観てゐて気の毒になる」。曰く「おれに演らせればもつとうまくやる」。
 なるほど、さうかも知れない。私は、かれ等が呑気さうにわれ/\の仕事をこき卸すのを見て、少しは腹を立てるかといふと、決してさうではなく、却つてうれしくなるのである。なぜなら、かういふ人々こそ、頼母しいわれ/\の味方であるから。
 私は先づ「悲劇喜劇」をかういふ人々に贈らうと思ふ。
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 一方かういふ人達がゐる。芝居でさへあれば、なんでもかまはない。それや、感心したり感心しなかつたりするにはするが、兎に角、芝居を観ないと淋しい。取りわけ新劇の舞台は、多少不満はあつても、常に何か知ら生き生きした興味を与へてくれる。ことに脚本を読んだだけでは味はへない魅力が、思ひがけない興奮となつてわれもまた何事かをなさゞるべからずといふ決心を呼び起す。役者が下手でもその熱心さに打たれ、装置が貧弱でも、百方工夫の跡が見えればよい。芸術は生命の具象である。人間が一生懸命になつてゐるところ、そこには技巧を超越した美の世界がある。
 現在までの新劇運動は、恐らくかういふ観客によつて支持され、育てられ、そして、悲しい哉、いくぶん不具にされて来たのである。
 今日のいはゆる「新劇フアン」なるものに対して、私は毛頭軽侮の情をもつものではないが、たゞわれ/\の「悲劇喜劇」は、その「寛大さ」よりもむしろその「気むづかしさ」に呼びかける甚だ危険な傾向を選んだつもりである。それ以外に、日本の新劇を健全に導く方法はないと信じるからである。

「悲劇喜劇」は純然たる「演劇専門雑誌」にはしないつもりである。演劇を演劇の檻の中に閉じ込めて、豊かな外光に触れさせないことは愚の極みである。演劇は必ずしも綜合芸術ではない。しかし、演劇はあらゆる芸術への出口をもつ一種不可思議な迷宮である。「悲劇喜劇」は、この迷宮を訪ふものの案内書であり、探検用の新版地図である。時には小説が掲載されるであらう。時にはまた詩論が、またある時は紀行や日記が、そして、稀には美術評や音譜やが何頁かを占めることもあるだらう。それを以て直ちに編輯者の気まぐれと誤解してもらつては困る。尤も気まぐれなら気まぐれで、雑誌の特色にはなると思ふが。
 といつて、わざわざ、色彩の不鮮明な趣味雑誌式編輯はしないつもりである。題名の、「悲劇喜劇」はその点考へないやうで実は考へた名義で、ある人は「いひにくい」と辞し、ある人は「字の形が面白くない」と評してゐるが、私は、それらの批評を一応受け容れた上で、なほ且捨て難い飄々たる味をこの四字のうちに見出だしてゐるのである。
 直接そのことゝ関係はないが、この雑誌の創作欄は、「佳いものがあつたら載せる」主義である。「名のある作家にたのんで書いてもらふ」主義でなく、「懇意なものに頼まれたから載せてやる」主義でもない。私自身の作も、かなり自信があるものしか載せないつもりだし、若い人達は、この雑誌によつて作家的地位を作れるやうにしたいと思つてゐる。
 自分の編輯する雑誌に自分の作品を発表するといふことは、なんとなく謹慎を欠いたことのやうに見える。殊に「佳いものでなければ載せない」などゝいつてゐるかたはら、自分の作品だけは、自分で折紙をつけるなどは甚だ片腹痛い仕業であるが、もともと、雑誌発刊の動機が、前に述べた如く、多分に個人本位であり、私自身の言論機関をもつと同時に私の信頼する先輩友人諸氏に、私が読者と共にきかうとするところをきき得る一つの場所を作つたに過ぎないのであるから、これだけは大目に見ていたゞきたい。