茶話(ちゃばなし)

医者の友達

1・5(夕)

 寺内内閣が壊れて、その跡へ政友会内閣が出来かゝるやうな運びになつて、総裁原敬氏の白髪頭はくはつとうのなかでは、内閣員の顔触かほぶれ幾度いくたびか見え隠れしてゐた頃、今の文相中橋徳五郎氏のところへ、神戸にゐるお医者さんの桂田富士郎ふじを氏から一本の電報が飛込んで来た。
 中橋氏は何気なく封を切つて見た。電報には、
「大臣になるなら文部ときめよ。」
と書いてあつた。中橋氏は二三度それを口のなかで読みかへしてゐるうち、嬉しさに覚えずほころびかゝる口もとを強くし曲げるやうにして気難きむつかしい顔をこしらへた。実を言ふと、その二三日前から、中橋氏は今度の内閣には、主だつた椅子の一つが屹度きつと自分の方に転げ込んで来るものと腹をめてゐた。内務か、農商務か、逓信ていしんか。その中のどれでも差支さしつかへがなく、二つ一緒ならなほいとさへ思つてゐるらしかつたが、桂田氏の電報には思ひがけなく「文部ときめよ」と書いてあつた。
「文部か。文部なら俺でなくたつて――それに第一乾児こぶんの者が承知せんよ。」
 中橋氏は不足さうに独語ひとりごとを言つた。そして自分が間違つて文部にでも入つたら、乾分こぶんの山岡順太郎氏などは、あの兜虫かぶとむしのやうな顔をしかめて、屹度ぼやき出すに相違ないと思つた。
 そのあくる朝、中橋氏は総裁のやしきへ呼ばれて往つた。門を入る時には、船や米の値段が差当つての重大問題で、自分でなくてはその解決はむつかしいとさへ思つてゐたが、門を出る時には、これからの日本は何よりも教育が大事だと思ひ込んでゐたらしかつた。そしてうちへ帰りつくと、直ぐ電報用紙を取りよせて、神戸の桂田氏宛に次のやうな電報を打つた。
「願ひのおもむき聞き届ける。」
 中橋氏は文部大臣になつた。なりはなつたが、何だつて桂田氏が思ひがけなくあんな電報をよこしたのか、訳が分らなかつた。
「事によつたら、桂田め、ちやんと内閣の役割を知つてゐたかも知れないぞ。何しろ医者で脈を取る事を知つてゐるからな。」
 中橋氏は腑に落ちなささうな顔をしてぼやいた。
 最近米国に、ある鉄道事故から右脚をいためた男があつた。撞木杖しゆもくつゑをついて町へ出ると、ばつたり友達の一人に出会つた。
「や、久しぶりだね。」友達はづか/\とやつて来て握手をした。「ひどい目につたんだつてね、ほんとに気の毒だつたね。」
「有難う。」不仕合せな男は撞木杖をつき直しながら頭を下げた。
「その杖が無くつちや歩けないのかい。」友達は気の毒さうに訊いた。
「なあに、医者はもう杖なざ無くたつていゝと言ふんだけど、弁護士が是非ついて居てくれといふもんだからね。」
 鉄道会社を相手に訴訟をするには、是非杖をついてゐる必要があつたのだ。医者だの弁護士だのは友達にもつてゐるといろんない事を教へてくれるものだ。


音楽家の大統領

1・6(夕)

 共和国になりかゝらうとしてゐる波蘭ポーランドでは、その最初の大統領に洋琴家ピヤニストのパデレウスキイ氏を選んださうだ。パデレウスキーは何といつても、今では世界切つてのピアノ弾きで、旅行をする折にも手がこはばるとけないからといつて、ピアノを汽車のなかに担ぎ込んで、ひまさへあれば鍵盤キイを打つてゐる人である。
 弁護士出の政治家でなければ、政事の実際が判らないもののやうに思ふのは、ふるい時代の習慣にとらはれた人達の事である。世界の政治と生活との様式が、根本から改造せられかゝつてゐる今の時代には、統治者が理想家であればある程、目覚ましい国民的飛躍が成し遂げられようといふものだ。この意味においてパデレウスキイの大統領は、必ずしも不適任だとは言はれない。
 墺太利オーストリーにモツアルトといふ音楽家があつた。ある日の事維也納ウヰンナ市街まちをぶらついてゐると、変な姿なりをした乞食がひよつくり眼の前に現れた。乞食は問はず語りに、色々な哀れつぽい身の上話をはなし出した。すべて乞食の身の上話といふものは、聴き手が乞食でない限り、なか/\面白く聴かれるもので、談話はなしが済むと、どんな人でもがついお鳥目てうもくをはずみたくなるものだが、生憎あひにくな事にモツアルトはその折懐中ふところに少しも持合せてゐなかつた。
 音楽家は空つぽのポケツトに両手を突つ込んだまゝ乞食の方へ一寸顎をしやくつて見せた。二人は連れ立つてそこらの珈琲コーヒー店に入つて往つた。音楽家は暖い珈琲と菓子の一皿とを乞食にあてがひながら、自分は卓子テーブルりかゝつて、せつせと作曲に取りかゝつた。乞食が家鴨あひるのやうな口もとをして珈琲をすすつてしまふ頃には、立派な舞踏曲ミニユエトの一つが有り合せの紙片かみきれに書き綴られてゐた。