A LETTER FROM PRISON(ア レター フロム プリズン)

 この一篇の文書は、幸徳秋水等二十六名の無政府主義者に關する特別裁判の公判進行中、事件の性質及びそれに對する自己の見解を辨明せむがために、明治四十三年十二月十八日、幸徳がその擔當辯護人たる磯部四郎、花井卓藏、今村力三郎の三氏に獄中から寄せたものである。
 初めから終りまで全く秘密の裡に審理され、さうして遂に豫期の如き(豫期! 然り。帝國外務省さへ既に判決以前に於て、彼等の有罪を豫斷したる言辭を含む裁判手續説明書を、在外外交家及び國内外字新聞社に配布してゐたのである)判決を下されたかの事件――あらゆる意味に於て重大なる事件――の眞相を暗示するものは、今や實にただこの零細なる一篇の陳辯書あるのみである。
 これの最初の寫しは、彼が寒氣骨に徹する監房にこれを書いてから十八日目、即ち彼にとつて獄中に迎へた最初の新年、さうしてその生涯の最後の新年であつた明治四十四年一月四日の夜、或る便宜の下に予自らひそかに寫し取つて置いたものである。予はその夜の感想を長く忘れることが出來ない。ペンを走らせてゐると、遠く何處からか歌加留多の讀聲が聞えた。それを打消す若い女の笑聲も聞えた。さうしてそれは予がこれを寫し終つた後までもまだ聞えてゐた。予は遂に彼が嘗て――七年前――「歌牌の娯樂」と題する一文を週刊平民新聞の新年號に掲げてあつたことまでも思ひ出させられた。西川光二郎君――恰もその同じ新年號の而も同じ頁に入社の辭を書いた――から借りて來てゐた平民新聞の綴込を開くと、文章は次の言葉を以て結ばれてゐた。『歌がるたを樂しめる少女よ。我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し、姉に從ひて、食と眠りを忘れしこと屡々なりき。今や此樂しみなし。嗚呼、老いけるかな。顧みて憮然之を久しくす。』
 しかし彼は老いなかつたのである。然り。彼は遂に老いなかつたのである。
 文中の句讀は謄寫の際に予の勝手に施したもの、又或る數箇所に於て、一見明白なる書違ひ及び假名づかひの誤謬は之を正して置いた。
 明治四十四年五月
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 磯部先生、花井、今村兩君足下。私共の事件の爲めに、澤山な御用を抛ち、貴重な時間を潰し、連日御出廷下さる上に、世間からは定めて亂臣賊子の辯護をするとて種々の迫害も來ることでせう。諸君が内外に於ける總ての勞苦と損害と迷惑とを考へれば、實に御氣の毒に堪へません。夫れにつけても益々諸君の御侠情を感銘し、厚く御禮申上げます。
 扨て頃來の公判の摸樣に依りますと、「幸徳が暴力革命を起し」云々の言葉が、此多數の被告を出した罪案の骨子の一となつてゐるにも拘らず、檢事調に於ても、豫審に於ても、我等無政府主義者が革命に對する見解も、又其運動の性質なども一向明白になつてゐないで、勝手に臆測され、解釋され、附會されて來た爲めに、餘程事件の眞相が誤られはせぬかと危むのです。就ては、一通り其等の點に關する私の考へ及び事實を御參考に供して置きたいと思ひます。


 無政府主義の革命といへば、直ぐ短銃や爆彈で主權者を狙撃する者の如くに解する者が多いのですが、夫は一般に無政府主義の何者たるかが分つてゐない爲めであります。辯護士諸君には既に承知になつてる如く、同主義の學説は殆ど東洋の老莊と同樣の一種の哲學で、今日の如き權力、武力で強制的に統治する制度がなくなつて、道徳、仁愛を以て結合せる、相互扶助、共同生活の社會を現出するのが、人類社會必然の大勢で、吾人の自由幸福を完くするのには、此大勢に從つて進歩しなければならないといふに在るのです。
 隨つて無政府主義者が壓政を憎み、束縛を厭ひ、同時に暴力を排斥するのは必然の道理で、世に彼等程自由、平和を好むものはありません。彼等の泰斗と目せらるるクロポトキンの如きも、判官は單に無政府主義者かと御問ひになつたのみで、矢張亂暴者と思召して御出かも知れませんが、彼は露國の伯爵で、今年六十九歳の老人、初め軍人となり、後ち科學を研究し、世界第一流の地質學者で、是まで多くの有益な發見をなし、其他哲學、文學の諸學通ぜざるなしです。二十餘年前、佛國里昂の勞働者の爆彈騷ぎに關係せる嫌疑で入獄した際、歐州各國の第一流の學者、文士連署して佛國大統領に陳情し、世界の學術の爲めに彼を特赦せんことを乞ひ大統領は直ちに之を許しました。その連署者には大英百科全書に執筆せる諸學者も總て之に加はり、日本で熟知せらるるスペンサー、ユーゴーなども特に數行を書添へて署名しました。以て其の學者としての地位、名聲の如何に重きかを知るべしです。そして彼の人格は極めて高尚で、性質は極めて温和、親切で、決して暴力を喜ぶ人ではありません。
 又クロポトキンと名を齊しくした佛蘭西の故エリゼー・ルクリユス(Ruclus)の如きも、地理學の大學者で、佛國は彼が如き大學者を有するを名譽とし、市會は彼を紀念せんが爲めに巴里の一道路に彼の名を命けた位です。彼は殺生を厭ふの甚だしき爲め、全然肉食を廢して菜食家となりました。歐米無政府主義者の多くは菜食者です。禽獸をすら殺すに忍びざる者、何ぞ人の解する如く殺人を喜ぶことがありませうか。