迷信と宗教(めいしんとしゅうきょう)


 わが国は今日なお迷信盛んにして、宗教もその雲におおわれ、精神界はこれがために暗黒なるありさまなれば、余は人文のため、国家のために、迷信と宗教との別を明らかにし、有害なる迷信を除きて、正しき信仰の下に宗教の光明を発揮せしむるの必要を感じ、一片報国の微衷より本書を講述するに至れり。
 本書の目的は、高等教育を受けたる人士を相手とするにあらず、中等以下の社会、あるいは小学卒業の程度の人にして、迷信の海に漂いつつある人に示さんとするにあれば、高尚の学説を加えず、煩雑の論理を避け、平易にして了解しやすきを主とせり。
 本書は家庭教育の教訓材料、社会教育の講話材料に供給せんとの予想にて、できうるだけ例話、事実談を多く引用することとし、また、なるべく興味に富めるものを選抜することとなせり。しかして、その談話は古人の書より抄録するよりも、余が内外各国の実地を踏査して、直接に見聞せしものを多く掲記したり。ゆえに、教育家および宗教家はもちろん、いやしくも家庭の父兄たるものは、いかなる社会を問わず、本書を一読して、教訓、講話の資料に採用せられんことを望む。

大正五年二月
著者 しるす
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 ここに迷信と宗教との関係を述ぶるに当たり、まず、迷信とはなんぞやの定義を知らなければならぬ。しかるに、迷信はその範囲はなはだ広く、かつその種類すこぶる多くして、精確なる定義を与うることは困難である。ただ普通の見解によれば、道理なきことまたは道理に背きたることを、道理あるがごとく、または道理にかなうがごとくに誤って信ずることであろう。そのほかに、なし得べからざることをなし得べしと信じ、これによって己の私情を満たし、僥倖ぎょうこうを望む意味も加わっておるように思う。
 先年、文部省にて編纂へんさんせられし『国定小学修身書』に迷信の課題が掲げてあり、また迷信の種類も列してあったから、これによって、およそ迷信とはかかるものかというを知ることがよろしかろう。まず、尋常科の注意の下に、
 迷信は地方により種々雑多にて、四国地方の犬神いぬがみのごとき、出雲いずも地方の人狐にんこのごとき、信濃しなの地方のオサキのごときは、特にその著しきものなり。
とあり、またそのつぎに左の八項を掲げて、これを諭すべしと書いてある。
(一)狐狸こりなどの人をたぶらかし、または人につくということのなきこと。
(二)天狗てんぐというもののなきこと。
(三)たたりということのなきこと。
(四)怪しげなる加持祈祷かじきとうをなすものを信ぜぬこと。
(五)まじない、神水じんずい等の効の信頼すべからざること。
(六)卜筮ぼくぜい御鬮みくじ、人相、家相、鬼門、方位、九星きゅうせい墨色すみいろ等を信ぜぬこと。
(七)縁起、日柄等にかかわることのあしきこと。
(八)その他、すべてこれらに類するものを信ぜぬこと。
 つぎに、高等の方には本文中に、
 世には種々の迷信あり。幽霊ありといい、天狗ありといい、狐狸の人をたぶらかし、または人につくことありしというがごとき、いずれも信ずるに足らず。また、怪しげなる加持祈祷をなし、卜筮、御鬮の判断をなすものあれども、たのむに足らず。およそ人は、知識をみがき道理を究め、これによりて加持祈祷、神水等に依頼するがごとき難儀の起こりしとき、道理をわきまえずして、みだりに卜筮、御鬮等によるがごときは、いずれも極めて愚なることというべし。
と説いてある。これらによりて、迷信のいかなるものかを知ることができる。
 迷信を述ぶるには、ぜひとも妖怪の話を交えざるを得ない。なぜなれば、この二者はほとんど同一の関係を有し、妖怪はすなわち迷信、迷信はすなわち妖怪といってよいほどである。世間多くの人は、妖怪ならざるものを妖怪と信じている。これすでに迷信である。また、その迷信にさらに種々の迷信を付会して、妖怪を解釈するありさまなれば、ここに迷信の題下に各種の妖怪をも併記することにする。
 これより、まず西洋の迷信より説き起こし、わが内地の迷信に及ぼし、終わりに迷信の説明を結ぶに当たって、宗教と迷信との相違を述べたいと思う。


「心灯をかかげきたりて天地の活書を読め」とは、余が『妖怪学講義』の巻頭に題したる語である。これと同時に、「迷信の妄雲を払い去って、宗教の真月をみよ」とは、余が世人に警告するところである。西洋はいかに文明が進んでいるといっても、今日なお宗教中に迷信の加わりいることが決してすくなくない。なかんずく、ヤソ旧教に至っては、迷信というよりは妄信といいたいことが多い。スペイン国の首府マドリッドの人民は、その地位が欧州各国の首府より海抜最も高いという点より、「天国に最も近いから、天帝より愛護を受くること一層大なるに相違なし」と申しているなどは、笑うべきの至りではないか。イタリア地方の寺院を見るに、信者群れをなして堂内のマリアの像の足にキスしている。乞食こじきも紳士も令嬢も、打ちまじり互いに前後してキスするありさまは、衛生もなにもあったものではない。普通の僧侶の指までも、争ってキスしているようなありさまである。