憑き物系統に関する民族的研究(つきものけいとうにかんするみんぞくてきけんきゅう)


 ここに憑き物系統とは、俗に狐持・犬神筋などと言われる所謂「物持筋」の事である。これがもし昔時の或る術を修得した暦博士や陰陽師の徒の、任意に識神しきじんを使役すると信ぜられたものの様に、その個人限りが有する一種の不可思議力であったならば、そこに系統も糸瓜へちまもあったものではない。この場合もしその術を何人にも伝える事なくして、その人が死んでしまった時には、その術はその人の死とともに永く世に失われてしまって、よしや血を分けた子孫がそこに幾らも存在していても、全くその術からは無関係な、ただの人間になってしまうのである。算木さんぎ一つの置き方で人を笑い死ぬまで笑わせたり、お座敷の真ん中に洪水を起して、畳の上で人を溺らせたりした様な恐ろしい奇術者も、僅かに今昔物語や吾妻鏡にその霊妙なる放れ業の記事を止めているのみで、後世その伝説が全く失われてしまったのはこれが為である。しかしこの様な技能を有する術者でも、やはり子は可愛い、孫はいとしい。ことにこれが為に社会から畏敬せられ、生活の安泰を保障される様なことであってみれば、どこまでもこれを子孫に相続させたくなる。ここにおいてか一子相伝とかいう様なことが始まり、はてはただ一子のみならず、一切の子孫がすべてこれを相伝することにもなる。かくてもとは師資相承であった筈の術道も、いつしか血脈相承となる。すべてのものが家柄によって保持せられることとなるのである。またこれを子孫の側から云ってみれば、父祖の有した或る霊妙なる不可思議力を継承するとして世間から認められる必要もあったので、なるべくそう見られる様にと努力したに相違ない。かくて彼らはその秘法の外間に漏れることを恐れて、なるべく俗人等との間に平凡な交際を避け、みだりに結婚を通ずる様なこともなく、遂にはここに立派な「筋」が成立するのである。かの陰陽筋おんみょうすじ神子筋みこすじ禰宜筋ねぎすじなどと云われて、時としては世間から婚を通ずるをはばかられる様な家筋のものの中には、当初はこの類けだし少からぬことであったと察せられる。
 かく云えばとて、しからば後世所謂「物持筋」の人々は、もとみなこれら術道家の子孫であったか、と、そう手軽に早合点して貰ってはならぬ。そこにはまた別に古来或る民族的差別観を以て、世間から見られた或る部族の存在を考えねばならぬ。そしてその根原が一般に忘れられた後になっても、或る地方或る部族に限っては、何らかの事情からその差別観が比較的後の世までも頑強に保持せられ、その理由は何人も知らないながらも、ただ何となく一所になりにくいという系統の、今なお各地に存在することを考えてみねばならぬ。その最も適切なる一例として、同じ憑き物系統と言われる中にも、多少他とは様子の違ったところのある飛騨の牛蒡種ごんぼだねを捉え来って、これが民族的研究を施してみたいと思う。


 国そのものが山間にあるところの飛騨において、しかもさらにその山間の或る一地方には、牛蒡種ごんぼだねと呼ばるる一種の系統が今も認められているという。
 由来狐憑・狸憑・犬神憑等、憑き物に関する迷信は広く各地に存して、その憑くものの種類は種々に違っていても、とにかく或る人間に使役せられた或る霊物が、他の人間に憑いて災いを為すという信仰においては、殆ど同一であるが中に、ひとりこの飛騨の牛蒡種のみは、これらとはやや様子が違って、直ちに人間が人間に憑くと信ぜられているのである。この牛蒡種の人に恨まれると、その恨まれた人はたちまち病気になる。のみならず、その霊妙な力はよく非情の上にも働いて、もし牛蒡種の人が他の農作物の出来の善いのを羨ましく思うと、それがだんだん萎縮して、遂には枯れてしまうのだと言われている。これについては郷土研究(一ノ三・二八)に柳田君(川村杳樹)の説がある。なお同誌には野崎寿君(四ノ四・九四)や、住広造君(四ノ六・六九)の報告も出ている。自分が飛騨出身の押上中将から直接伺ったところもほぼ同様であるが、住君がその本場と言われる吉城よしき上宝かみたから村を数回旅行せられて、永い間注意せられたにもかかわらず、まだ牛蒡種に憑かれたという者を見られた事もなく、単に漠然世間話にのみそんな事を言い触らすのを耳にせられたに過ぎなかったといえば、文明開化の今日では、もはや評判程にはないものとなってしまっているものと思われる。
 牛蒡種の起原は一つだと伝えられているらしい。住君の報告によると、吉城郡上宝村を本場として、国府村や袖川村にも多少はあるが、それは上宝村から移住したり、伝播したりしたものらしいとある。また野崎君の報告によると、大野・吉城の二郡から、益田郡及び美濃の恵那郡の一部にまで散在し、信州の西部にも少しはあるという。これは犬神筋や狐持と同じで、結婚によって他に伝播するものらしい。また、牛蒡種のものが世に恥じてこれを免れんが為には、金につけてこれを道路に捨てるので、その代りそれを拾った慾張りは、たちまち牛蒡種になるのだとも住君の報告に見えている。