松浦あがた(まつらあがた)


「黄櫨成列隴※[#「月+祭」、107-上-4]間 南望平々是海湾 未サガ三五駅忽林※[#「縢」の「糸」に代えて「土」、U+584D、107-上-5]タリ温山。」
 とはこれ頼山陽が「見温仙岳うんぜんだけ」の絶句――この詩を誦し去りて、われらは先づ肥前の国に入る。「温泉うんぜんはちまき、多良頭巾たらづきん」といふこと、これをその国のある地方にて聴く、専ら雲のありさまを示せるもの、おもしろき俚諺ことわざならずや。温泉岳と、多良岳と、かれに焦熱の地獄あれば、これに慈悲の精舎しようじやあり、これに石楠花しやくなげの薫り妙なれば、かれに瓔珞躑躅やうらくつゝじの色もゆるがごとし、いつは清秀、他は雄偉、ともに肥前の名山たることはしばしば世に紹介せられたりし、かつ題目の制限を超ゆるあたはざれば、これより直に、北のかた、松浦あがたの空を望まむかな。
 南、島原半島の筑紫富士(温泉岳)と遥にあひたいし、小城をぎと東松浦との郡界の上に聳え、有明海沿岸の平野を圧するものを天山てんざん――また、あめやまともいふ――となす。この山ことに高しとにはあらざれども、もつともはやく雪を戴くをもて名あり。けだしその絶巓いただき玄海洋げんかいなだをあほり来る大陸の寒風のくに当ればなり。
 更に転じて西松浦の郡界に到れば、黒髪山くろかみやまほしいまゝに奇趣を弄ぶあり、巉巌ざんがんむらがり立てるはこれ正に小耶馬渓せうやばけい。いにしへ大蛇あり、そのたかんなのごとき巌に纏ふこと七巻半、鱗甲りんかふ風にうごき、朱をそゝげる眼は天を睨む、時に鎮西八郎射てこれをたふし、その脊骨数箇を馬に駄す、その馬重きに堪へず、嘶いて進まざりしところ、今に駒鳴峠こまなきたうげの名を留めたり。
 黒髪山の近くに源を発するもの、有田川あり、伊万里川あり、松浦川あり、その流域は「松浦あがた」のうち最主要なる部に属す。有田川は西南に流れて皿山を過ぐ。ここははやくより、磁器の製造をもて、その名世にく。いはゆる有田焼の名産を出すところなり。維新の前、藩侯の通輦つうれんあるや、つねに磁土を途に布きて、その上に五彩を施せしといふ、また以て、窯業えうげふの盛なるを想ふに足るべし。
 次に伊万里川は北に流れ、大河内の近くを過ぎ、伊万里町を貫き、有田川の末とおなじく、牧島湾に注ぐ。大川内は「御用焼」もて知られしところ、今はたゞ蕭条たる一部落の煙を剰すに過ぎず。伊万里町は殷賑いんしんなること昔時に及ばずといふ。ここより盛に陶磁器を輸出せし時代やいかなりけむ。ロングフェロオが「ケラモス」と題したる詩のうちに、世界の窯業地えうげふちとしてその名をかずまへ、うるはしき詞もて形容せる数行の句はいささか現今の衰勢を慰むるに足りなむか。町の一端に岩栗神社あり、孝元天皇第四の皇子を奉祀す。天平のむかし藤原広嗣一万余騎の兵を嘯集せうしふし、朝命にそむき、筑前、板櫃川いたびつがはに拠る、後やぶれて、松浦郡なる値嘉島ちかのしまに捕へらる。時の副将車、紀飯麻呂きいひまろこの地に到り、祭壇を設けて紀氏の祖を祀りしに創れりと伝ふ。因にいふ伊万里の名称は飯麻呂の転訛なりと、いかゞあるべき。
 いかづち夕に天半なかぞらを過ぐ、烏帽子、国見の山脈に谷谺こだまをかへせしその響は漸く遠ざかれり、牧島湾頭やがて面より霽れたれども、退く潮の色すさまじく柩を掩ふ布のごとき雲の峯々の谷間に埋れゆくもものうげなり。くしや、この黄昏の空より吹きおろす秋風はにはかに万点の火を松浦富士越岳こしだけの裾野に燃しいでたる。焔は忽ちさかりなり、とみれば、また、かつがつうちしめて滅し去る、怪みて人に問へば、これおの/\わが家の悲しき精霊しやうりやうの今宵ふたたび冥々の途に就くをいたみ、そが奥津城おくつきどころに到りて「おくり火」焚くなりと教へられし一夜をわれは牧島村長の小高きをかの上の家に宿りたりし。
 いで、次に松浦川の流はそも如何なる風色をか呈し来る。伊万里の東二里ばかり、桃川の宿あり。南より流れ落る水は滝つ瀬をなしたるが、ここにて、その響のたゞならぬを聴く、これ松浦川の上流。
 山間の冷気は夜松浦川の渓を襲ひ、飽くまで醸しなされたる狭霧は恰も護摩壇の煙のごとし。そが中に屡々しばしば悪魔のごとき黒山の影の面を衝いて揺くにおどろきつ。流を左に沿ひて大河野おかのに到り、右に別れて駒鳴の宿に入るや既に深夜を過ぎたり。駒鳴峠の嶮坂を越ゆれば、松浦川の支流なる波多川はたがはの沿岸に下るをうべし、われは新開の別路をえらべり。篝火かがりびの影の濃き霧に映ずるところ、所々に炭坑を過ぐ。夜はいまだ明けざるなり。途にて荷車を曳きゆく老爺と、うらわかき村の乙女の一隊との唐津からつへ出づるに遇ふ。我ははなはつとめたりといへども、こころよく笑ひゆく彼等に続くあたはずして、独のこされしことの殆夢のごとかりき。いな、これより二時ふたときばかりを熟睡のうちに過したるなり、醒むれば雑草ふかくとざせる、荒屋の塵うづたかき竹椽の上に横れる。