にんじん(にんじん)

目次の挿絵
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鶏の挿絵

 ルピック夫人はいう――
「ははあ……オノリイヌは、きっとまた鶏小舎とりごやの戸をめるのを忘れたね」
 そのとおりだ。窓から見ればちゃんとわかるのである。向こうの、広い中庭のずっと奥のほうに、鶏小舎の小さな屋根が、暗闇の中に、戸のいているところだけ、黒く、四角く、くぎっている。
「フェリックスや、お前ちょっと行って、閉めて来るかい」
と、ルピック夫人は、三人の子供のうち、一番上の男の子にいう。
「僕あ、鶏の世話をしにここにいるんじゃないよ」
 蒼白あおじろい顔をした無精ぶしょうで、臆病おくびょうなフェリックスがいう。
「じゃ、お前は、エルネスチイヌ?」
「あら、かあさん、あたし、こわいわ」
 兄貴のフェリックスも、姉のエルネスチイヌも、ろくろく顔さえ上げないで返事をする。二人ともテーブルにひじをついて、ほとんどひたいと額とをくっつけるようにしながら、夢中で本を読んでいる。
「そうそう、なんてあたしゃ馬鹿なんだろう」と、ルピック夫人はいう――「すっかり忘れていた。にんじん、お前いって鶏小舎を閉めておいで」
 彼女は、こういう愛称で末っ子を呼んでいた。というのは、髪の毛が赤く、顔じゅうに雀斑そばかすがあるからである。テーブルの下で、何もせずに遊んでいたにんじんは、突っ立ちあがる。そして、おどおどしながら、
「だって、母さん、僕だってこわいよ」
「なに?」と、ルピック夫人は答える――「大きななりをして……。嘘だろう。さ、早く行くんですよ」
「わかってるわ。そりゃ、強いったらないのよ。まるで牡羊おひつじみたい……」
 姉のエルネスチイヌがいう。
「こわいものなしさ、こいつは……。こわい人だってないんだ」
と、これは兄貴のフェリックスである。
 おだてられて、にんじんはり返った。そういわれて、できなければ恥だ。彼はひるむ心と闘う。最後に、元気をつけるために、母親は、痛いめにわすといい出した。そこで、とうとう――
「そんなら、あかりを見せてよ」
 ルピック夫人は、知らないよという恰好かっこうをする。フェリックスは、鼻で笑っている。エルネスチイヌが、それでも、可哀かわいそうになって、蝋燭ろうそくをとりあげる。そしてにんじんを廊下ろうかのとっぱなまで送って行く。
「ここで待っててあげるわ」
 が、彼女は、づいて、すぐ逃げ出す。風が、ぱっと来て、蝋燭の火をゆすぶり、消してしまったからである。にんじんは、しりっぺたに力をめ、かかとを地べたにめり込ませて、闇の中で、ぶるぶるふるえ出す。暗いことといったら、それこそ、めくらになったとしか思えない。おりおり、北風が、冷たい敷布しきふのようにからだを包んで、どこかへ持って行こうとする。狐か、それともあるいは狼が、指の間やほっぺたに息をふきかけるようなことはないか。いっそ、頭を前へ突き出し、鶏小舎めがけて、いいかげんにけ出したほうがましだ。そこには、隠れるところがあるからだ。手探てさぐりで、戸のかぎをつかむ。と、その跫音あしおとおどろいたとりどもは、宿木とまりぎの上で、きゃあきゃあ騒ぐ。にんじんは怒鳴どなる――
「やかましいな。おれだよ」
 戸を閉めて走り出す――手にも、足にも、羽根がえたように。やがて、暖かな、明るいところへ帰って来ると、息をはずませ、内心得意だ。雨と泥で重くなった着物を、新しい軽いやつと着替きかえたようだ。そこで、になり、突っ立ったまま、昂然こうぜんと笑って見せる。みんながめてくれるのを待っている。危険はもう過ぎた。両親の顔色のどこかに、心配をしたあとが見えはせぬかと、それをさがしている。
 ところが、兄貴のフェリックスも、姉のエルネスチイヌも、平気で本を読みつづけている。ルピック夫人は落ちつきはらった声で、彼にいう――
「にんじん、これから、毎晩、お前が閉めに行きなさい」
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鷓鴣の挿絵

 いつものように、ルピック氏は、テーブルの上で、りょう獲物えものを始末し、腸を抜くのである。獲物は、二羽の鷓鴣しゃこだ。兄貴のフェリックスは、壁にぶらさげてある石板せきばんに、そいつを書きつける。それが彼の役目である。子供たちは、めいめい仕事を割当てられている。姉のエルネスチイヌは、毛をむしり、羽根を抜くのである。ところで、にんじんは怪我けがをしたまま生きているやつの、最後の息の根をとめるのである。この特権は、冷たい心の持主であるというところからきている。彼の残忍性は、みんなの認めるところとなっているからである。