三国志(さんごくし)

 一方、郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)軍も、ようやく、戦い疲れていた。そこへ、陝西せんせい地方から張済ちょうさいと称する者が、大軍を率いて仲裁に馳け上り、和睦を押しつけた。
 いやといえば、新手の張済軍に叩きのめされるおそれがあるので、
「爾今、共に協力して政事まつりごとをたて直そう」と、和解した。
 質となっていた百官も解放され、帝もはじめて眉をひらいた。帝は張済の功をよみし、張済を驃騎将軍ひょうきしょうぐんに命じた。
「長安は大廃しました。弘農こうのう(陝西省・西安附近)へおうつりあってはいかがです」
 張済のすすめに、帝も御心をうごかした。
 帝には、洛陽の旧都を慕うこと切なるものがあった。春夏秋冬、洛陽の地には忘れがたい魅力があった。
 弘農は、旧都に近い。御意ぎょいはたちまち決った。
 折しも、秋の半ば、帝と皇后のくるまは長い戟を揃えた御林軍の残兵に守られて、長安の廃墟を後に、曠茫こうぼうたる山野の空へと行幸せられた。


 行けども行けども満目の曠野である。時しも秋の半ば、御車みくるますだれは破れ、詩もなく笑い声もなく、あるはただ、惨心のみであった。
 旅の雨にあせた帝の御衣にはしらみがわいていた。皇后のおぐしには油の艶も絶え、お涙の痩せをかくすお化粧の料もなかった。
「ここは何処か」
 吹く風の身に沁みるまま帝は簾のうちから訊かれた。薄暮の野に、白い一水が蜿々うねうねと流れていた。
覇陵橋はりょうきょうほとりです」
 ※(「にんべん+確のつくり」、第4水準2-1-76)りかくが答えた。
 間もなく、その橋の上へ、御車がかかった。すると、一団の兵馬が、行手をふさぎ、
「車上の人間は何ものだ」と、咎めた。
 侍中郎の※(「王+奇」、第3水準1-88-6)ようきが、馬をすすめ、
「これは、漢の天子の弘農こうのう還幸かんこうせらるる御車である。不敬すな!」と、叱咤した。
 すると、大将らしい者二人、はっと威に恐れて馬を降り、
「われわれどもは、※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)かくしの指図によって、この橋を守り、非常を戒めている者でござるが、真の天子と見たならば、お通し申さん。願わくは拝をゆるされたい」
 楊※(「王+奇」、第3水準1-88-6)は、御車の簾をかかげて見せた。帝のお姿をちらと仰ぐと、橋を固めていた兵は、われを忘れて、万歳を唱えた。
 御車が通ってしまった後から、郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)が馳けつけて来た。そして、二人の大将を呼びつけるなり呶鳴りつけた。
「貴様たちは、なにをしていたのだ。なぜ御車を通したか」
「でも、橋を固めておれとのお指図はうけましたが、帝の玉体を奪い取れとはいいつかりませんでした」
「ばかっ。おれが、張済のいうに従って、一時兵を収めたのは、張済を欺くためで、心から李※(「にんべん+確のつくり」、第4水準2-1-76)と和睦したのじゃない。――それくらいなことが、わが幕下でありながら分らんのかっ」
 と、二人の将を、立ちどころにからめて、その首を刎ねてしまった。
 そして、声荒く、
「帝を追えっ」
 と、ののしって、兵を率いて先へ急いだ。
 次の日、御車が華陰県かいんけんをすぐる頃に、後からときの声が迫った。
 振向けば、郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)の兵馬が、黄塵こうじんをあげて、狂奔してくる。帝は、あなとばかり声を放ち、皇后は怖れわなないて、帝の膝へしがみついてはや、泣き声をおろおろと洩らし給う。
 前後を護る御林の兵も、きわめて僅かしかいないし、李※(「にんべん+確のつくり」、第4水準2-1-76)もすでに、長安で暴れていたほどの面影はない。
「郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)だ。どうしよう」
「おお! もうそこへ」
 宮人たちは、逃げまどい、車の陰にひそみ、唯うろたえるのみだったが――時しもあれ一ぴょうの軍馬がまた、忽然こつぜんと、大地から湧きだしたように、彼方の疎林や丘の陰から、を打鳴らして殺到した。
 意外。意外。
 帝を護る人々にも、帝の御車を追いかけて来た郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)にも、それはまったく意外な者の出現だった。
 見れば――
 その勢一千余騎。まっ黒に馳け向って来る軍の上には「大漢楊奉たいかんようほう」と書いた旗がひらめいていた。
「あっ。楊奉?」
 誰も、その旗には、目をみはったであろう。先頃、李※(「にんべん+確のつくり」、第4水準2-1-76)そむいて、長安から姿を消した楊奉を知らぬはない。――彼はその後、終南山しゅうなんざんにひそんでいたが、天子ここを通ると知って、にわかに手勢一千をそっし、急雨の山をくだるが如く、野を捲いて、これへ馳けて来たものだった。



 楊奉の部下に、徐晃じょこうあざな公明こうめいぶ勇士がある。
 栗色の駿馬しゅんめに乗り、大斧をふりかぶって、※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)かくしの人数を蹴ちらして来た。それに当る者は、ほとんど血煙と化して、満足な形骸むくろも止めなかった。
 郭※(「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)の手勢を潰滅かいめつしてしまうと楊奉はまた、その余勢で、