遠野物語(とおのものがたり)

おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも
柳田国男
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題目

(下の数字は話の番号なり、ページ数にはあらず)

地勢
一、五、六七、一一一
神の始
二、六九、七四
里の神
九八
 カクラサマ
七二―七四
 ゴンゲサマ
一一〇
家の神
一六
 オクナイサマ
一四、一五、七〇
 オシラサマ
六九
 ザシキワラシ
一七、一八
山の神
八九、九一、九三、一〇二、一〇七、一〇八
神女
二七、五四
天狗
二九、六二、九〇
山男
五、六、七、九、二八、三〇、三一、九二
山女
三、四、三四、三五、七五
山の霊異
三二、三三、六一、九五
仙人堂
四九
蝦夷の跡
一一二
塚と森と
六六、一一一、一一三、一一四
うば
六五、七一
たての址
六七、六八、七六
昔の人
八、一〇、一一、一二、二一、二六、八四
家のさま
八〇、八三
家の盛衰
一三、一八、一九、二四、二五、三八、六三
 マヨイガ
六三、六四
前兆
二〇、五二、七八、九六
魂の行方
二二、八六―八八、九五、九七、九九、一〇〇
まぼろし
二三、七七、七九、八一、八二
雪女
一〇三
川童
五五―五九
猿の経立ふったち
四五、四六
四七、四八
おいぬ
三六―四二
四三
六〇、九四、一〇一
色々の鳥
五一―五三
三三、五〇
小正月の行事
一四、一〇二―一〇五
雨風祭
一〇九
昔々
一一五―一一八
歌謡
一一九
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 遠野郷とおのごうは今の陸中上閉伊かみへい郡の西の半分、山々にて取りかこまれたる平地なり。新町村しんちょうそんにては、遠野、土淵つちぶち附馬牛つくもうし、松崎、青笹あおざさ上郷かみごう小友おとも綾織あやおり鱒沢ますざわ宮守みやもり達曾部たっそべの一町十ヶ村に分かつ。近代或いは西閉伊郡とも称し、中古にはまた遠野保とおのほとも呼べり。今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の町場まちばにして、南部家なんぶけ一万石の城下なり。城を横田城よこたじょうともいう。この地へ行くには花巻はなまきの停車場にて汽車をり、北上川きたかみがわを渡り、その川の支流さる石川いしがわたにつたいて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落ゆうらくをなせしなりと。されば谷川のこの猿ヶ石に落合うものはなはだ多く、俗に七内八崎ななないやさきありと称す。ないは沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。
○遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖という語より出でたるなるべし、ナイアイヌ語なり。

 遠野の町は南北の川の落合おちあいにあり。以前は七七十里しちしちじゅうりとて、七つの渓谷おのおの七十里の奥より売買ばいばいの貨物をあつめ、そのいちの日は馬千匹、人千人のにぎわしさなりき。四方の山々の中に最もひいでたるを早池峯はやちねという、北の方附馬牛つくもうしの奥にあり。東の方には六角牛ろっこうし山立てり。石神いしがみという山は附馬牛と達曾部たっそべとの間にありて、その高さ前の二つよりもおとれり。大昔に女神あり、三人の娘をともないてこの高原に来たり、今の来内らいない村の伊豆権現いずごんげんの社あるところに宿やどりし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華れいかりて姉のひめの胸の上に止りしを、末の姫眼覚めさめてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもうゆえに、遠野の女どもはそのねたみおそれて今もこの山には遊ばずといえり。
○この一里は小道すなわち坂東道ばんどうみちなり、一里が五丁または六丁なり。
タッソベアイヌ語なるべし。岩手郡玉山村にも同じ大字おおあざあり。
○上郷村大字来内、ライナイアイヌ語にてライは死のことナイは沢なり、水の静かなるよりの名か。

 山々の奥には山人住めり。栃内とちない和野わのの佐々木嘉兵衛かへえという人は今も七十余にて生存せり。このおきな若かりしころ猟をして山奥に入りしに、はるかなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪をくしけずりていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なればただちつつを差し向けて打ち放せしにたまに応じて倒れたり。そこにけつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。のちのしるしにせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これをわがねてふところに入れ、やがて家路に向いしに、道の程にてえがたく睡眠をもよおしければ、しばらく物蔭ものかげに立寄りてまどろみたり。その間ゆめうつつとの境のようなる時に、これもたけの高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまちねむりは覚めたり。山男なるべしといえり。