遠野物語(とおのものがたり)

○土淵村大字栃内。

 山口村の吉兵衛という家の主人、根子立ねっこだちという山に入り、ささりてたばとなしかつぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心づきて見れば、奥の方なる林の中より若き女の穉児おさなごいたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児をいつけたるひもは藤のつるにて、たる衣類は世の常の縞物しまものなれど、すそのあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えてつづりたり。足は地にくとも覚えず。事もなげに此方に近より、男のすぐ前を通りて何方いずかたへか行き過ぎたり。この人はその折のおそろしさよりわずらはじめて、久しくみてありしが、近きころせたり。
○土淵村大字山口、吉兵衛は代々の通称なればこの主人もまた吉兵衛ならん。

 遠野郷より海岸のはま吉利吉里きりきりなどへ越ゆるには、昔より笛吹峠ふえふきとうげという山路やまみちあり。山口村より六角牛ろっこうしの方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢であうより、誰もみなおそろしがりて次第に往来もまれになりしかば、ついに別の路を境木峠さかいげとうげという方に開き、和山わやま馬次場うまつぎばとして今は此方ばかりを越ゆるようになれり。二里以上の迂路うろなり。
○山口は六角牛に登る山口なれば村の名となれるなり。

 遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。青笹村大字糠前ぬかのまえの長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という猟師りょうしる日山に入りて一人の女にう。怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。驚きてよく見ればの長者がまな娘なり。何故なにゆえにこんなところにはおるぞと問えば、或る物に取られて今はその妻となれり。子もあまたみたれど、すべておっとが食いつくして一人此のごとくあり。おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。人にも言うな。御身も危うければく帰れというままに、その在所をも問いあきらめずしてかえれりという。
○糠の前は糠の森の前にある村なり、糠の森は諸国の糠塚と同じ。遠野郷にも糠森・糠塚多くあり。

 上郷村の民家の娘、くりを拾いに山に入りたるまま帰りたらず。家の者は死したるならんと思い、女のしたるまくら形代かたしろとして葬式を執行とりおこない、さて二三年を過ぎたり。しかるにその村の者猟をして五葉山ごようざんの腰のあたりに入りしに、大なる岩のおおいかかりて岩窟のようになれるところにて、はからずこの女に逢いたり。互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはおるかと問えば、女のいわく、山に入りて恐ろしき人にさらわれ、こんなところに来たるなり。げて帰らんと思えどいささかすきもなしとのことなり。その人はいかなる人かと問うに、自分にはなみの人間と見ゆれど、ただたけきわめて高く眼の色少しすごしと思わる。子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子にはあらずといいてくらうにや殺すにや、みないずれへか持ち去りてしまうなりという。まことに我々と同じ人間かと押し返して問えば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがえり。一市間ひといちあいに一度か二度、同じようなる人四五人集まりきて、何事か話をなし、やがて何方どちらへか出て行くなり。食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。かく言ううちにも今にそこへ帰って来るかも知れずという故、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといえり。二十年ばかりも以前のことかと思わる。
○一市間は遠野の町の市の日と次の市の日の間なり。月六度の市なれば一市間はすなわち五日のことなり。

 黄昏たそがれに女や子供の家の外に出ている者はよく神隠かみかくしにあうことはよその国々と同じ。松崎村の寒戸さむとというところの民家にて、若き娘なしの下に草履ぞうりぎ置きたるまま行方ゆくえを知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家にあつまりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再びあととどめず行きせたり。その日は風のはげしく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトのばばが帰って来そうな日なりという。