野草雑記・野鳥雑記(やそうざっき・やちょうざっき)



 この二冊の小さな本のように、最初思った通りに出来あがらなかった書物も少ない。私は昭和二年の秋、この喜多見きたみの山野のくぬぎ原に、わずかな庭をもつ書斎を建てて、ここを一茶いっさのいうついの住みかにしようという気になった。あたりはまだ一面の芒尾花すすきおばなで、東西南北には各々二三本の大きな松が見え、風のない日には小鳥の声がある。身の老い心の鎮まって行くとともに、久しくおもい出さなかった少年の日がよみがえって来る。私の生れ在所も村であったが、家が街道端でこの辺よりは立て込んでいたために、山に入らぬと色々の鳥は見られない。里にいるのは無数のすずめばかり、とびからすの他には空を横ぎるものがなかった。がん※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)くいな時鳥ほととぎすも、すべて歌俳諧と版画とによって知ったのである。これに反して野の草には友だちが多かった。それがこの岡のまわりにも群を成してはいるのだが、幼ない頃に見たのとはどうも様子が少し違う。ということが一段と昔をしのばしめたのである。
 たとえば「雀の毛槍」などは、私等がいてもてあそんだのは、もっと茎が長々として花のふさが大きく、絵にある行列のお供の槍とよく似ていた。母子草ははこぐさもこちらのは、もちに入れるほどにもふっくりと伸びず、小さなうちにもう花が咲いてしまうのは風土のためであろう。すみればかりは関東の野の方が種類も多く、色もずっとあざやかなように思われるが、蒲公英たんぽぽもまた紫雲英げんげも、花がやや少なくかつ色がさびしい。ただその埋め合せに野木瓜のぼけとか山吹とか、故郷で覚えていないさまざまの花が、この野の春色を豊かにしているのである。昭和三年の初めての春は楽しかった。もしも幸いにこの家に十年、何事もなくて住み続けることが出来たら、草の話を小さな一巻に集めて、子供や古い友人に読んでもらおうと、思い立ったのも早いことであったが、まだその時には『野鳥雑記』には考え及ばなかったのである。
 鳥は旧友川口孫治郎君の感化もあり、小学校にいた頃からもうよほど好きであった。十三歳の秋から下総しもうさの田舎にやって来て、虚弱なために二年ほどの間、目白やひわを捕ったり飼ったりして暮した。百舌もずと闘ったこともよく覚えている。雪の中では南天の実を餌にして、ひよどりをつかまえたことも何度かある。雲雀ひばりの巣の発見などは、それよりもずっと早く、恐らく自分が単独にげた最初の事業であって、今でもその日の胸のとどろきが記憶せられる。小鳥の嫌いな少年もあるまいが、私はその中でも出色であった。川口君の『飛騨ひだの鳥』、『続飛騨の鳥』を出版して、それを外国に持って行って毎日読み、人にも読ませたのは寂しいためばかりではなかった。少なくとも私の鳥好きは持続している。このきぬたの新村の初期には、野は満目まんもく麦生むぎふであり、空は未明から雲雀の音楽をもって覆われていた。それが春ごとに少しずつ遠ざかり、また少なくなって行くのに心づいて、段々に外へ出て鳥の声を求めるような癖を、養わずにはいられなかったのである。そこへさして現れて来たのが、野鳥の会の中西悟堂君という無双の鳥好きとであった。私は五十年も東京にいながら、まだ中国の土音どおんが抜けきらぬほど耳が悪く、また口真似くちまねが拙であるが、中西氏はその正反対で、従ってまた鳥の名を教える名人でもあった。あの早起きと健脚とには附いて歩けぬので、ほんの通信教授見たいな指導しか受けなかったが、それでも少しずつ新しいことを学んだ。第一にはうちの近所の木にも、存外色々の鳥が遊びに来るということ、次には子供の頃に覚えたと思っていることにも、かなり間違っていた点が多いということである。元来私は早合点をするたちだから、今だってもまだ誤解があるかも知れない。がとにかくに気を付けたり思い出したりする事が、これでまた一つふえたのである。
 私の家では、始めには庭に何物をもえない主義であった。木は門を出ること数歩にして松でも何でもある。草は抜ききれないほど色々のものが生える。どんなものがず生えて来るか、見ようと思って空地にして置いたのだが、あまり土埃つちぼこりが立つというので芝を張った。そうするとその隙間から顔を出したのが、隣の地面からの根笹の芽であった。これはてて置くと笹原になるからはさみで切った。その次には職人が食べてほうったかと思う梨の芽生えが二本、松が一本と片隅に合歓ねむの木とが生えた。これだけは約束だから成長にまかせ、もうそのあとは構わずに置くとよかったのだが、春になって気がかわって梅をたった一本、竹垣の近くに移植したのが病みつきで、秋はその隣へ小さな木犀もくせい山茶花さざんか安行あんぎょうからは富有柿ふゆうがきの若木が来る。いけて置いた丹波栗たんばぐりが芽を出す。何やらかやら皆大きくなり、おまけに隣地のの木までが林のように茂って来て、目隠しにはよいが日陰が多くなった。幼な馴染なじみの草などは、大抵たいていは十分な日の光の中で育つものばかりだから、こんな処には見切りをつけて、ずんずんと野外に退却してしまい、家のまわりにはいやな草ばかりがはびころうとする。雨でも降りつづいて五六日も出ずにいると、すぐに化物屋敷のようになって心までが荒びるので、近年は草取りが夏秋の日課になってしまった。人も草取りを日課にする年になると、もはや少年の日の情愛を以てこの物に対することが出来ない。この変化は相応に寂しいものである。