夢殿(ゆめどの)

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昭和九年八月中旬、台湾巡歴の帰途、神戸に迎へたる妻子と共に紀州白良温泉に遊ぶ。滞在数日。


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白良の浜に遊びて

白良しららの ましららの浜、まことしろきかも。驚くと、我が見ると、まことしろきかも。踏みさくみ、ぐさとり、あなあはれ、まことしろきかも。子らと来て、足投げて、膝くみて、ただにしろきかも。白良の ましららの浜、松が根も、渚べも、日おもても、ただにしろきかも。あなあはれ、目にりて、火気ほけだちて、しろきかもや、しろきかもや、立ちても居ても。

おなじく

ましららの白良の浜はまことしろきかも敷きなべて真砂も玉もまことしろきかも 旋頭歌一首

また

ましららのまこと白浜照る玉のかがよふ玉の知らなく

まことにもしろき浜びや足つけて踏みさくみ熱き真砂まさご照る玉

音絶えてかがよふ砂浜ましろくぞ白良のま玉火気ほのけ澄みつつ

昼渚

松があらうろこに照るさへや真砂は暑し吹きあげの玉

女童めわらはすね柔毛にこげにつく砂のしろき真砂は光りつつあり

浜木綿はまゆふは花のかむりの立ち枯れてそこらただ暑し日ざかりの砂

浜木綿を、また

牟婁むろと言へば葉叢はむら高茎たかぐき百重ももへなす浜木綿の花はうべやこの花

紀の海牟婁の渚に群れ生ふる浜木綿の花過ぎにけるかも

糸しだり花過ぎ方の浜木綿は影おだしけれ火照ほでる夕波

崎の湯二趣

さき湯室ゆむろの庇四端よつまり夕凪にあるか入江向ひに

牟婁の崎荒き石湯いはゆ女童めろ居りて大わだの西日ただにあかかり

夜景

浜木綿に湯室ゆむろあかりうつりゐて真砂踏みる足音絶えぬ

短夜

短夜の白良の浜に来寄きよる波燈籠にまくわがらなどをあはれ

白良荘起臥

朝ながめ夕ありきして牟婁の津や白良の浜に玉をめでつつ

玉ひろふ子らと交らひ牟婁の崎白良の浜に七夜ななよ寝にける

砂いくつ畳にひろふ起臥おきふしも早やすずしかり唐紙たうしのべしむ
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我弱冠、郷関を出て処女詩集「邪宗門」を公にして以来、絶えて故国に帰ること無し。その間、歳月空しく流れて既に二十の星霜を経たり。時に望郷の念禁じ難く、徒に雲に島影を羨むのみ。偶※(二の字点、1-2-22)昭和三年夏七月、大阪朝日新聞社の求むるところにより、その旅客輸送機ドルニエ・メルクールに乗じて北九州太刀洗より大阪へ飛翔せんとす。これ日本に於ける最初の芸術飛行なり。事前、乃ち妻子を伴ひて郷国に下る。山河草木、旧のごとくにして人また変転、哀楽また新にして恩愛一のごとし。南関柳河行これなり。二十三日、本飛行を決行するに先立つて、幸ひに試乗してその太刀洗より郷土訪問飛行の本懐を達するを得たり。恩地画伯、長子隆太郎と共なり。ここにその長歌十七篇短歌二百五十三首を録す。


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海を越えて

七月十八日朝、関門海峡を渡る。

海を越ゆるただち胸うつ国つきも我が筑紫なり声に荒くも

おやの国筑紫この土我が踏むと帰るたちまち早やわらべなり

見るただち顔にあふるる親しみは故郷ふるさとにあれや帰り来にけり

我が言へば音の響に添ふごとく響きこたふる国人君は

明日飛ぶと

しき山門やまとのまほらここにして我はや飛ばむ高き青雲

南風はえのむた真夏大野を我が飛ぶと明日待ちかねつ心あがりに

産土うぶすなよこの山河をかくばかりただにし見ずて我恋ひにけり

山門の歌

山門やまとはもうまし耶馬台やまと、いにしへの卑弥乎ひみこが国、水清く、野の広らを、稲ゆたに酒をかもして、菜はさはに油しぼりて、さちはふや潟の貢と、うづの貝・ま珠・照るはた。見さくるやわらべが眉に、霞引く女山ぞやま・清水。朝光あさかげ雲居くもゐ立ち立ち、夕光ゆふかげうしほ満ち満つ。げにここは耶馬台やまとの国、不知火しらぬひや筑紫潟、我がさとは善しや。

反歌

あがうしほ明るき海のきはうまし耶馬台やまとぞ我の母国おやぐに

妻と子らに

汽車いよいよ生国筑後に近づく。

筑紫野は大き出水でみづの田つづきを簑笠つけて人遊ぶかに

筑紫はを生ましける母の国大き出水でみづの田の広ら見よ