木綿以前の事(もめんいぜんのこと)



 女と俳諧はいかい、この二つは何の関係も無いもののように、今までは考えられておりました。しかし古くから日本に伝わっている文学の中で、これほど自由にまたさまざまの女性を、観察し描写し且つ同情したものは他にありません。女を問題とせぬ物語というものは昔も今も、捜して見出すほどしか無いといわれておりますが、それはみな一流の佳人かじんと才子、または少なくとも選抜せられた或る男女の仲らいをべたものでありました。これに反して俳諧は、なんでもないただの人、極度に平凡に活きている家刀自いえとじ、もっと進んでは乞食こじき盗人ぬすっとの妻までを、俳諧であるが故に考えてみようとしているのであります。歴史には尼将軍あましょうぐんよどかたという類の婦人が、稀々まれまれには出て働いておりまして、国の幸福がこれによって左右せられたこともありますが、こういう人たちをわが仲間のうちと考えて、歴史に興味を抱くようになった女性の、少なかったのはまことにむを得ません。かえって後姿を眺めようとするような心持が、女と歴史とのすれちがいには起こらなかったのであります。有りとあらゆる前代の人の身の上は、小説の中にすらも皆は伝わっておりません。それを俳諧だけが残りなく、見渡しり上げて咏歎えいたんしようとしていたのであります。女は通例自分たちの事をうわさせられるのを、知らずに過ぎるということはないものですが、奇妙に俳諧だけは冷淡視していました。その原因は御承知のごとく、俳諧というものが連歌れんがの法式を受け継いで、初めのおもての六句ではなるべく女性を問題とせず、特に恋愛は取扱わぬことにしていまして、そうして今日俳諧として鑑賞せられているのが、そのまた第一の句だけであったからであります。店先にはまじめくさった年輩の男たちばかり出入でいりしているのを見て、これは女などには用の無いところと、奥には何があるのかをのぞいて見ようともせずに、素通りした人の多かったのも無理はありませんが、実はその暖簾のれんの陰にこそ、紅紫こうしとりどりの女の歴史が、画かれてあったのであります。歴史にこの無数無名の二千年間の母や姉妹が、黙って参与していたことを信ずる者は、これを説くためにも俳諧を引用しなければなりません。そうして私がこの意外なる知識を掲げて、人を新たなる好奇心へ誘いこむ計略も、白状をすればまた俳諧からこれを学びました。
『七部集』は三十何年来の私の愛読書であります。これを道案内に頼んでこの時代の俳諧の、近頃活字になったものも追々に読んでみました。その折々の心覚えを書き留めておいたのを、近頃取出して並べて見ますと、大部分は女性の問題であったことが、自分にも興味を感じられます。それで二三の関係ある文章を取添えて、一冊の本にすることにしたのであります。大抵は人に語りまたは何かの集まりに話をしたものの手控てびかえのままなので、聴手の種類や年齢に応じて、表現の形が少しずつかわり、文章も大分不揃いであります。それがこの書を「女性読本」と題しなかった一つの理由であります。
 或いは男のくせにという批判を、誰かから受けそうな気もしますが、実は私には女の子が四人あり、孫も四人あって四人とも女です。彼らとともに、またはその立場から、次の時代を考えてみなければならぬ必要が、前にもあり今もしばしばあるのであります。これがもしも一身一家にしか用の無い問題であるならば、そういう研究は学問ということができぬのですが、幸いなことには私たちの境遇は、かなり多くの同時代人を代表しているらしいのであります。此方こちらで望ましいことが彼方あちらでは害になり、一方のためには智慧ちえであり啓発であっても、他の一方では疑いまどう人々を、誤りに導くかも知れぬというような懸念けねんは、お互いの足元を比べ合わせてみれば、まず少しも無いと信じられるのであります。こういう経験こそはわかたなければなりません。それ故に私たちは、自分自分の疑惑から出発する研究を、すこしも手前勝手とは考えておらぬのみか、むしろ手前には何の用も無いことを、人だけに説いて聴かせようとする職業を軽蔑しているのであります。現在の日本に自国の学問が無ければならぬということを、私などはこういう風に解しております。俳諧に残っているのは小さな人生かも知れませんが、とにかく今までは顧みられないものでありました。事は過去に属しつつも、依然として新しい知識であります。そうしてまた現在の疑惑の種子たねであります。是からの日本にきて行こうとする人々に、おふるでないものをさし上げたいと、私だけは思っているのであります。