日本に於ける支那学の使命(にほんにおけるしながくのしめい)

 もっとも支那学という名は、ヨオロッパの学界におけるシノロジイの訳語として、これまでも行われていたものである。シノロジイはエジプトロジイとかアッシリオロジイとかいうのがこれらの古代東方民族の文化を研究する学術の名として用いられているのと同じく、極東の支那を研究の対象とするものであるが、それには東方のいろいろの民族の文化がヨオロッパの現代文化、ヨオロッパ人にいわせるとそれが即ち世界の文化、の圏外にあるもの、彼らにとっては何らかの特異のものであるというかんがえが潜んでいる。現代の学術が多くの部門に分れていて、それぞれ専門的に研究せられているにかかわらず、これらの東方民族の文化の研究においては、一括してそれをエジプト学とか支那学とかいっているのも、そのためのようである。無論、こういう名には歴史的の由来もあり、これらの民族の文化について専門的に科を分けて研究するほどのことが知られていなかった、あるいはいない、という事情もあるし、また例えば同じく支那学者といわれていても、実際は学者によってそれぞれ研究の方面が違っていて、その意味では部門が分れているのと大差がないことになる、という事実のあることも考えねばならぬが、それにしても、こういう名が依然として用いられているところに意味がある。そうして上に述べたようにしてやや専門的に東方民族の文化を研究するにしても、それぞれの専門的な学術の本領からは離れたもの、何らかの特異のもの、のように考えられる傾向がある。学術がヨオロッパ人の学術であり彼らの文化現象の一つである以上、今日までのヨオロッパ人の考としては、これもまたむりのないことであろう。さすれば、そういう風の学術としてヨオロッパに行われている支那学のその名をわれわれが用いるのは、甚だふさわしくないようでもあるが、われわれは別の意味でそれを利用するのが便利だと考える。それは多くの方面から、また多くの部門に分けて、それぞれの専門的研究をするにしても、その間に緊密な関係をもたせて互に助けあい、そうしてそれを綜合することによってのみ、支那の文化は明かにせられるからである。支那の研究のみでなく、すべての学術がそうであるので、学術の分科は止むを得ざる便宜法であり、あるいはむしろ制約であり、研究の目的は全体としての文化であり人間生活である。ところが、学術が分科的になるに伴って、その一つ一つの部門がそれぞれに別々の目的を有っている独立の学術であるように考えられるのみならず、その一部門の専門家には、その部門のみが学術のすべてであるようにさえ思いなされる傾向が生じ、従って一方面からのみ見たことで全体をおしはかりがちであって、これが現代の学術の弊である。支那文化の研究においてもこのことが考えられねばならぬが、日本人の支那研究においては特にそれについて注意しなければならぬことがある。日本人の支那に関する知識は、長い間の因襲として、いわゆる漢学、あるいはその中心となっている儒学、によって与えられたものが主になっているようであるが、上に述べたような儒学の学問のしかたが現代の学術のと全く違うということを除けて考えても、儒教は多方面である支那の過去の文化、過去の支那人の生活のわずか一部面であるに過ぎないのに、それが支那人の生活を支配していた支那思想の全体であるように何となく考えならされ、儒学によって支那の全体が知られるように錯覚していたのが、儒学の教養をうけた日本の過去の知識人であった。なお儒教そのものについても、経典のみによってそれを知ることはできないので、儒教を発生させ変化させ、また後世までそれをうけつがせた支那の社会的政治的状態とその歴史的推移、支那人の心理、思惟のしかた、支那語の性質、ならびに儒教と並んで存在した種々の思想、宗教、文学、芸術、及びそれらと儒教との関係など、要するに支那人の生活、支那の文化の各方面にわたってのそれぞれの学術的研究を遂げることによって、始めて儒教を知ることができるのであるが、これまでの儒学はこういうことをほとんど問題にしていなかった。従って儒学を講じた昔の儒者は実は儒教を知らなかったのだといっても、さしつかえがないほどである。そういう儒者が支那を知らなかったことは、いうまでもない。そこでわれわれは現代の学問のそれぞれの分科に従って各方面の支那文化を学術的に研究すると共に、その研究が一つの全体としての支那文化を明かにするためであることを忘れず、相互の間に聯絡を有たせつつ、綜合的な見かたを失わないようにして、その研究を進めてゆかねばならぬ。儒教そのものもまたかかる研究によって始めてその真の性質と並に過去の支那の文化におけるその地位と功過とが明かにせられることになろう。こういうように、いろいろの学術的研究の間の相互の関聯と綜合とを尊重する意味において、それぞれの分科がありながらそれを包括して支那学と称することが適切であろうと思われる。