日本歴史の研究に於ける科学的態度(にほんれきしのけんきゅうにおけるかがくてきたいど)


 ちかごろ世間で日本歴史の科学的研究ということがしきりに叫ばれている。科学的研究というのが近代史学の学問的方法による研究という意義であるならば、これは史学の学徒の間においては一般に行われていることであるから、今さらこと新しくいうには及ばないはずである。しかるにそれがこと新しいことのように叫ばれるのは、日本の国家の成立の情勢とか、皇室の由来やその本質、ならびにそれと国民との関係とか、皇室の種々の事蹟とか、または日本の世界における地位とか、いうようなことがらについて、学問的の研究をもそれによって知られている明かな歴史的事実をも無視した、あるいはむしろ一般的な常識を無視した、ほしいままな主張をもっているもの、もしくは歴史を政略の具にしようとするものが、政治的権力者の地位を占めて、その権力をもてあそび、学徒や文筆にたずさわっているものの一部にも、それに迎合追従し、またはみだりに虚偽迷妄な説を造作してそれを支持するものがあり、それがために学問的の研究が政治的権力と乱暴な気ちがいじみた言論とによって、甚しく圧迫せられると共に、虚説妄説が声高く宣伝せられることによって、国民の多くが迷わされも惑わされもし、そうしてそれが起すべからざる戦争を起させ、またそれを長びかせた一つの力となったので、その戦争によって国家の危機が来たされた今日に至って、急にこれらのことがらについての正しい知識を国民に与える必要が感ぜられたからであろう。そうして上にいった権力者の権力がくずれ宣伝が声をひそめたことが、それを叫ぶによい機会となったのであろう。だから、その学問的研究というものは、日本歴史のすべての部面を対象としてのことではなく、ここに挙げたような特殊のことがらについての、少くともそれを主とし中心としての、ことであるらしく、従って時代からいうと、上代史にそのおもな問題があるとせられているようである。
 もっとも、こういうことがらについての学問的研究は、近年ほどに乱暴な態度や方法によってではなかったにせよ、その前から、知識の乏しい官憲や固陋ころうな思想をもっているものの言動やによって、或る程度の、場合によっては少からぬ、抑制をこうむってはいた。メイジ(明治)の或る時期には古典の批判がかなり活溌に行われ、皇室に関することについてもいろいろの新しい自由な研究が現われても来たが、その傍には、神道や国学やまたは儒教の思想をうけつぎ、それを固執するものがあって、こういう研究に反対し、時には官憲を動かしてそれを抑制しようとしたのである。それがために、学界においても、こういう問題については、自由な学問的研究の精神が弱められ、学徒をして、あるいは俗論を顧慮して不徹底な態度をとらしめ、あるいはそれに触れることを避けさせる傾向が生じ、そうしてその間には、学徒みずからのうちにもしらずしらず固陋な思想に蝕まれるものが生ずるようになり、全体として研究が進まなくなった。これがほぼメイジの末期からの状態であった。勿論、学界のすべてがこういう状態であったのではなく、特にタイショウ(大正)年間からは、シナ(支那)やチョウセン(朝鮮)の歴史の研究が進み、また考古学・民俗学・宗教学・神話学などの学問が次第に芽を出して来たので、それによって、側面から日本歴史のこの方面の研究を助けるようにもなったし、また第一次世界大戦の終ると共に、思想界の諸方面を動かして来た自由な、世界的な空気の影響をうけた気味があったかと思われるふしもあって、こういう問題もいろいろに取扱われて来た。いわゆる左翼思想の流行につれて、特殊の史観にもとづく歴史の解釈が試みられたことも、注意しなくてはならぬ。しかしこれは、上記の特殊の史観にもとづくものを除けば、純粋な学界のことであって、一般の世間にはさしたる交渉がなく、そうして世間の一部に固陋な思想の存在することも、また前と変らなかった。なおこのことに関聯して、学校における歴史教育が、上にいったようなことがらについては、曖昧あいまいな態度をとり、または真実でない知識を強いて注入していたことも、明かな事実である。世間に正しい知識が弘まらなかったのは、むりもないことである。学問的に研究しなければならぬ問題がそこにあるということすらも、一般には考えられなかった。
 ところが、上記の固陋の思想は、近年に至って政治界における軍国主義の跳梁ちょうりょうに伴い、それと結合することによって急に勢を得、思想界における反動的勢力の一翼としてその暴威を振うようになった。上に権力者の恣な主張といい、虚偽迷妄な説といい、気ちがいじみた言論といったのは、即ちそれである。その主張その言論は、神道や国学や儒教やの思想から継承せられたものが主になってい、それを粉飾するためにヨウロッパのいろいろの思想や用語の利用せられた場合もあるが、その利用のしかたは極めて恣なものであった。しかし、こういう状態が現出したのも、またさかのぼっていうとメイジ時代から固陋な思想の存在したのも、根本的には、日本人の文化の程度が低く教養が足らず、特に批判的な精神を欠いていて、事物の真実をきわめまたそれによって国民の思想と行動とをその上に立たせようとする学問の本質と価値とを理解するに至らないためであった。学徒が真理を愛し真理を求め真理のために虚偽と戦おうとする意気と情熱とを欠いていることも、またこれと深い関係がある。権力を恐れ俗論をはばかり、真理として信ずるところを信ずるままに主張することをしないのは、むかしからの日本の学者の通弊であり、そうしてそれは、みずから研究しみずから思索するのではなくして、他から学び知ることを主とする過去の学問の性質からも、また学問は身を立て名利を得るための方便と考えられていると共に、学者に独立の地位の与えられなかった社会的風習からも、来ているのであるが、近年に至って、知識人の間に小成に安んじ現在に満足する気風がひろまり、その点からもこういう態度がとられるようになったということも考えられる。そうしてそれは、一とおりヨウロッパの文化を学び得たがために、もはや彼れに及ばぬものがないように思い、その実、学問でも文芸でも一般の教養でも、はるかにヨウロッパに及ばぬ状態であるにかかわらず、メイジ年間における如くいわゆる先進文化国においつこうとするいきごみと努力とが弱められると共に、われの誇るべからざることを誇り、かれのあなどるべからざることを侮ったところにも、一つの理由があるのではないかと、解せられる。この一般知識人の気風が学徒にも及んで、彼らをして真理に対する熱愛を失わしめたのではあるまいか。