年中行事覚書(ねんじゅうぎょうじおぼえがき)

 普通とちがったさまざまの経歴をもつ人も、このごろは多くなって来たけれども、大体からいうと私たちの生活は単調で、きのうもきょうもあすの日も、似よった暮し方をくりかえしている。それを後からふり返って見て、ああ生きて来たと思い知るためには、楽しい目標が必要であり、それがただ一年ずつの境を立てるだけでは、まだ足りなかったのではないかと思う。オボエルという言葉の正しい意味において、多数の日本人はまだ年中行事をおぼえている。それだからまたわざわざ絵や文字に書いて残すに及ばなかったのである。
 昔の記録になった年中行事と区別するために、我々はこちらを民間の年中行事と呼ぶことにしている。しかし長たらしく、また一方はもう働かなくなったのだから、ここでは簡単にただ年中行事といっておくが、これは一つの土地、一つの家だけに限られた特色でなく、ひろく日本という国に住む者の共に知り、共に守ろうとしていたものが、いかなる慣習であったかを明らかにしてみたいので、昔とくらべて目的はまるでちがって来ている。年中行事という名称が、近世に入ってから少しずつ、この方向に移り動いて来たのは、文化の学問の上からいうと、好ましい一つの進歩であった。つまりは我々の人生をる眼が広くなり、比較の方法は歴史の研究にもなお必要だということが、追々わかりかけて来た兆候なのである。
 国語の方面などでは、これがまだはっきりとせず、今でもたった一つの変遷へんせんを正しい道と感じ、それに付いて行かねばならぬように、我と我身を苦しめている人がまだ多い。年中行事の方でも、暦は大きな統一の力であって、その支配の及ぶ限りは、中央の標準に遵拠じゅんきょせしめようとしていたが、それは正朔せいさくすなわち月と日のかぞえ方を主としていて、これに伴なういろいろの行事に至っては、すべて土地毎の自然の発達にまかせてあった。外からの感化もなかったわけではあるまいが、これとても住民の合意がなければ、風俗としては成立しなかった故に、わずかな距離を隔てても、もう目立つほどの差異があり、それをまた当然の事のように、昔の旅人らは予期してもいたのである。ところが実際はさほどの変化でもなく、同じ一つの国の人である以上は、どんなに離れて年久しく住んでいようとも、やはり似通うたことをしていたのだったと、やっとこのごろになって少しずつ、私たちは心づき始めた。
 人が自由に遠国に行き通い、ちがった方角から来た人たちと軒を並べ、膝をまじえて雑談をするようになったのは、そう古くからのこどでなく、また近いころ急に盛んにもなった。今まではとかく変った点が目につきやすく、言葉や品物のわずかなちがいでも、理解を妨げていたことが多かったけれども、静かにいて見れば心持はだんだんと汲み取られる。わざわざ統一してみようと努めなかった区域に、かえって隠れたる自然の一致があったということを、学び知る機会が多くなって来て、ここに始めて年中行事が、新しい学問上の意味を持つことになったのも、つまりは時代の然らしむる所であった。
 人が自らを知るということは、すでに容易な仕事ではないが、国民が自分の国を知るのは、それよりもまた何層倍かむつかしいことだった。しかも方法はなお幾らもある。第一にはめいめいの無知に気づくこと、今までわかったつもりでいたものに、実は答えられないことが多いのは、私みたいな年よりには、一種の若返りの薬であった。年中行事は小さな問題だけれども、ことにこの中からいろいろの新しい疑いが生まれて、人の話を聴く楽しみが止めどもなく成長する。子供とか外国の旅客とかは、今までの常識にはとらわれないから、とんでもない質問を出して、返答に困らせることが多い。たまにはこういう人たちの立場に立って、ま一度日本を見なおして見るのもよく、また少なくともそういう無邪気な疑いを、どう説明するかを考えておくのもよい勉強である。
 この小さな一冊の本は、へただけれどもその一つの試みである。今に必ずもっと面白く、わかりやすく書いたものが、この本の読者の中からも出て来るであろう。年中行事の研究には、まだ広々として未知数がある。これがだんだんと開けて行くにつれて、我々の古い歴史、周囲の民族とのつながりもわかって来るかもしれない。最初どのような生活計画を立てて、祖先はこの島に渡って来たか、そういうことも明らかになるかもしれない。私はまだ答えることは出来ないが、遠い将来を考えると、この仕事は楽しみである。


 一年は三百六十五日、その三百日余はただの日、またはフダンの日といって、きまった仕事をくり返し、忘れて過ぎて行くのをあたりまえのように思っている中に、特に定まったある日のみは、子供が指を折って早くから待ち暮し、親はそのために身の疲れもいとわず、何くれと前からの用意をして、四隣しりん郷党きょうとう一様に、和やかにその一日を送ろうとする。これが今日いうところの民間の年中行事であった。正月や盆のように幾日かを続けたのもあるが、大体にこの行事の日は、一年の間によいあんばいに割りふられている。これは古くから自然にそうなったか、ただしはまた近頃の祝祭日のように、昔も評議をして人がきめたものであろうか。もしきめたとすれば発頭人ほっとうにんは誰かということになるが、正月以外にはその心あたりはないから、それは要するに社会の力、すなわちまた一つの自然ということになりそうである。