年中行事覚書(ねんじゅうぎょうじおぼえがき)

 それをいま少し詳しく考えて見る前に、一つ言いたいことはこの行事のそれぞれの日を、もとは我国では何と呼んでいたろうかで、それが今日は誰にきいても、もうはっきりとしなくなっているのである。千年以上も昔から朝廷に用いられ、また民間でもひろく行き渡ってはいるが、節という語はともかくも日本語ではない。節はフシであり長いものの区切りであり、ちょうど竹には必ず備わり、ねぎにらにはないのが目につくというものだから、これを生活の単調を破るために、自然に生まれて来た行事の日の、名にするだけならば別に不思議はない。ただわざわざ漢語の音までを取入れて、セツといったのには何かまた理由がなければならぬ。
 私などの想像するところでは、日本の年中行事は中央と地方と、もとは似通うたものであったのを、いわゆる唐制模倣によって一方の儀式を、特に荘重な形に改めて、むしろ差別のためにこういう呼び名を採用せられたのであった。それが公けの言葉になると、いつとなく田舎の端々はしばしにまで広がって、結局は以前何と言っていたかを、簡単には思い出せないようになってしまった。なくてこの時まですましていたのではあるまいと思う。
 九州の南部から沖繩の島々にかけて、折目おりめといっているのがあるいはもとの言葉だったかもしれない。節も折目も心持は近い上に、古くは「日折の日」という名も一つだけ伊勢物語に出ている。近畿地方の多くの村々では、盆や正月祭礼までを引きくるめて、小さな休みの日までをトツキヨリという人が多い。折は機会という意味に広く用いられてはいるが、トキと組合わせてこういう風に使うと、ただ年中行事に限られて他のことにはならないのは、古い慣用のなごりかと思われる。トキはもちろん今日の「時」と同じ言葉なのだが、本来は時間よりも時点、すなわち節というのに近かったと見えて、節をトキとませた人の名乗があり、また時節とつづけた漢語が、日本では盛んに行われている。
 現在は何だか仏法に縁が深く、仏事法事の飯だけをオトキと呼ぶ土地が多くなっているけれども、これも以前は一年のきまった日、常と異なる日の一つ一つを意味し、すなわち「節」という語が入って来るまでの古語であったかもしれない。東日本ではかわり物、何かふだんとちがう食物をこしらえて食べる日を、トキドキと今でもいっている土地がある。以前は人の心がおおようで、相手に通じさえすれば、こんな広い意味の言葉を使ってもすまされたのである。
 この以外にも、マツリとかイワイとかヤスミとか、意味のはっきりとしない名がいろいろと出来ていて、その場の都合でそれを使っていたようだが、近ごろは範囲や定義がやかましくなって、説明をつけないともう通用しないものばかり多くなった。あるいはその時の様子次第で、あれもこれも取りまぜて使い、総称というものがなかった時代もあったかと思うが、その事は後にもう少し詳しく説明するとして、とにかくに今ではセツというのが、全国にわたって最も普通の名になっている。これからさきも何とかしてこの語を活用するの他はないだろう。
 節は紀元節天長節というように、公けの最も重々しい儀式の日の、ただわずかなものに限るように、近頃ではなっていたけれども、それは必ずしも本来の意味だったとは言えない。現にそういう重々しい節の日と併行へいこうして、民間にも数々のセチビが認められていた。いわゆる五節供ごせっく三節供さんせっくには限らず、九月の秋祭、十月の、その他毎月の日待ひまち月待つきまちまでを、鹿児島県などではみんな折目おりめ節目せちめと呼んでいる。そういう中でも全国を通じて、最もよく知られた節日せちびは一年の境の日であった。
 現在はオセチを除夜の夕食にたべてしまうのが不思議に思われ、都会ではまた節季せっきというものがあって、それはまた全く別個の事務となっているのだが、それもこれも一続きのセツの中であったことは、正月の飯米用意をセチきといい、たきぎの支度をすることをセチ木り、その他セチゴ(節衣)だのセチ草履ぞうりだのというのも、すべてこの晴れのこしらえであったのを見てもわかる。信州ではよめむこが実家へ遊びに行くことを、正月だけはセチニユクといっているが、埼玉県まで来ると親戚しんせき故旧こきゅうが、年始に集まって、酒宴を催すのがすべてオセチであった。すなわち節は常民じょうみんの飽満し、また歓喜する日の名だったのである。
 民間でこれをセチといったのも普通の日本語で、別に正式の大きな節の呼び方に対する御遠慮ではなかった。その証拠には、昔の宮廷の女たちも皆セチといい、ことに節会は男でも必ずセチエといっていた。白馬節会はアオウマノセチエ、豊明節会はトヨノアカリノセチエ、珍しい名だから多くの人々が記憶し、ちがったよび方をすると今でも笑われる。この節会は我国の特色の一つだった。本元の国でもそういったのか知らぬが、こちらのようには盛んに用いていない。節会はすなわち節日の会食で、この日は集まって大いに飲みかつ食べることは、古今都鄙とひを一貫した行事の中心であった。これが時世によって盛衰し、どちらかというとだんだんと淋しくなった。節という日の意義はこれと共に、少しずつ衰えて来たような感じがある。