東奥異聞(とうおういぶん)

 同郡某村というので、非常に容貌よき一人の若者が急死した。それがまたある狩人がある山にて、ふしぎな山女と連れだって歩いているのを二、三年たってから見たというような話もあった。これは女ではないが同趣向のものである。予の話した柳田國男氏の『遠野物語』にもあるが、女は比較的無事円満に山に住み山男の子どもなどを産んでいることができるらしいが、男は多淫の山女に縁引きされると初めのうちはひどく好遇されるけれども、精力消耗してくるとたちまち殺されて食われてしまうということである。その男子もいま生きていれば五十七、八になるが、十八、九歳のさいに死亡し山で見られたというから、もういまは、とくに殺されてこの世にはおらぬことと思われる。
 同郡大槌町大槌川の付近、正内しょうないという処に一人の娘があった。この娘は生まれながらに土地の巫子から水性のもののもとへ縁女にとられると予言されておったが、やがて十三歳になったときの夏の日、大槌川にて水浴するとて朋輩の女児とも四、五人ずつとともにつねに川にゆくが、この娘のみ一人連れから離れてある岩のほとりに寄り水中にからだを浸していたが、そうすること四、五日してからついにその水中に沈んで死んだ。死体を見ると陰部に粘液が付着していた。たぶんウナギかなにかの仕わざであろうといったと、これはいまより十年ほど前の話である。
 陸前国気仙郡花輪村の竹駒という所に一人の美しい娘があった。あるときこの娘が外で遊んでいるところを一羽のワシにさらわれて同郡有住村の角枯つのがし淵というに落とされた。すると淵のなかより一人の老人が出てきてその娘を背に乗せて家に送り届けた。じつはこの老人はサケであった。そうしてこの老人はしいて娘に結婚を申しこんでついに夫婦になった。その子孫の者はいまでもけっしてサケを食わぬということである。


 こう列記してくると、かの三輪式口碑その他の蛇族や河童かっぱやサル、オオカミに見こまれてさらわれてゆきまたは嫁いでゆく態の事がらとは自然とその根本において異なっている。この話のほうは生まれながらにそうなれとの因縁でもって山河の主に嫁ぐということである。そこに大きな差異があるのである。
 この話例の口碑で注意を要するところは、その誘拐される娘なり青年なりが、われわれの目にはいったん死亡の形式になっていることである。私はこういう例を多く知っていると非常にこうつこうであるけれども、いまはそれを探索する機をえないのもやむをえないことである。けれどもそれに類似の話を一、二記してみよう。
 陸中遠野郷北川目きたがめの者ら五、六人の同行で出羽の湯殿山をかけにいったことがあった。かけ下してきて深林帯の尾根に一行がさしかかるといちばんあとに立ちすこし遅れていた大下某という男、顔色を変えてみんなに追いつき、いまの呼び声を聴いたかという。みんながなんの呼び声かと聞くと、おやそれではおまえたちには聴こえなかったのか、いまこの深沢で女の叫び声がしたが、どうもそれがおれの女房の声のようであったといったが、それから鬱々として楽しまず家に帰るととうとう病み出して死んだということ。その女房というのは三年ばかり前に死んでこの世にいなかった者だということである。この話と似た話はまだ私の記憶にある。
 前と同郷某らという者ども、気仙郡五葉山をかけにいったときにも、その連れの一人が深林中にて前年亡せし愛妻の声を聴いたといったが、これも山から帰る早々病みついて死んだ。
 こういうような信仰は山郷の人々の間には今日でもなお新しく生きている。そしてそういうふうに死んだ者は山男山女の類のうからのなかにゆくといわれている。またそうでなくとも農家の若い息子が急に死ぬることなどがあれば、それに対してもただちに神秘的な想像や噂がたつことがある。前記同郷の土淵村の某所にて、村中にも田の草相撲などにいつも人気をよんでいた私の近所の長命という若者、鎮守の相撲帰りに急に病んで死す。そのときなどもその若者が呼吸を引き取ると同時に、家の後ろの山から一人の大男が飛ぶようにおりてきてその家にはいったのを見たものがあった。これは山男ですなわち長命はいったん眷族の前には死んで山男の族にいったものだろうというのがもっぱらの評判であった。また私の隣家に小町という十七ばかりの娘が流行感冒かなにかで亡くなったときにも、前述と同様な噂がたったこともある。とにかくこういうふうに若い娘や男のある種の死をもって魔物他生へのふしぎな結縁の成るものだとする信仰は古より日本の民族中に潜在していた思想であるらしい。それは古いわれわれの祖先の略奪結婚の変態した信仰形跡の名ごりであるかいなか、または真実に河淵湖沼の主や深山幽谷の山男の族というような他生の魔物が存在しているかどうかは、そのほうの、考証学の諸先輩にお任せするのが適当な礼儀でもあり、また便利でもある。