消えた霊媒女(きえたミジアム)


「あなたは美人で有名だった小宮山麗子という霊媒女がある大家へばれて行って、その帰りに煙のように消えてしまった不思議な事件を覚えていらっしゃいましょう?」
「はあ覚えております。もうあれから十年近くもなりはしません? あの当時は大した評判でございましたわね。でも、あれは到頭判らずじまいになったんではございませんか?」
「ええ、あれっきりなんです。でも美人だったし、心霊研究者達からは宝物ほうもつのように大切にかけられてた女ですから、今でもその人達の間では時々話に出るようですね」
「そうでしょうね。霊媒者なんていうと、私達にはちょっと魔法使いか何んぞのように聞えて、まあ巫女みことでもいった風に考えられますわ。それが突然消えてしまうなんて、昔なら神隠しに逢ったとでもいうんでしょうけど、実際はどうしたんでございましょうね?」
「実は、そのお話をしようと思うんですの。それも今日が、あのひとが行方不明になってから恰度何年目かの同じ日なんですの。亡くなられた六条松子夫人の命日に、夫人を崇拝している人達が集って、追悼会を開いたんです。その席上にあの小宮山麗子が招かれて、夫人の招霊をやり、すっかり松子夫人生き写しになって、和歌などを詠んで人達を感動させ、六条伯爵家を上首尾で辞し去ったまでは判っています。話はそれからなんですが、あの晩は霧が深くて街燈がぼうッと霞み、往来はまるで海のようだったそうです。六条さんの御門を出ると、忽ち小宮山麗子の姿は霧の中に吸い込まれたように見えなくなり、それり消息が絶えてしまったんです」
 書斎の安楽椅子にふかぶかと身を投げかけながら、S夫人は、スリー・キャッスルの煙の行方を心持ち目を細めて追いつつ、さも感慨深そうにいうのだった。
「どうして突然こんな話をはじめたか、あなたは変に思われるでしょうが、実はこの事件がそもそも私をこんな職業しごとに導いた動機だと云ってもいいのですよ」
 ある事件が一段落ついて、朗らかな気分になっていたS夫人は、自分が探偵に興味を持ち初めた最初の動機について、私にその思出を語ろうと云うのである。



 それはもう大分過去に遡らねばならないことで、まだS夫人の夫の博士がシャム国政府の顧問官でいた時代で、その頃夫人も夫の任地へ赴いて、そこで二三年の月日を送っていたことがあった。
「その当時のことなんですが」
 夫人はそう云って、デスクの前の壁に掲げてある大きな写真を指しながら、
「この写真が、その頃写したものなんですよ」
 見ると剥げちょろけた塔のような建物を背にして、石段の上に五六人の男が立ったり蹲踞しゃがんだりしている。
「真中に立っている肥った男は私の夫です。その傍にサン・ハットを持って立っているのがこれからお話しようという物語りの主人公なんですから、ようく見といて頂戴」
 三十五六、あるいは四十を大分出ているかも知れない。というのは、何だかこう干乾ひからびてしまったといった感じがするほど痩せ細っていて、ちょっと年格好の見当がつき兼ねたからであるが、よく見ると上品な細面の相当綺麗な顔立なのだ。しかし見た感じは頗るよくなかった。尖った鼻、恐しく神経質らしい凄い眼、その陰鬱な物悲しそうな表情をじっと見詰めていると、何となく私まで引き入れられて、心が寒くなるような人柄だった。
「このお方は何て仰しゃる方?」
「勝田男爵の弟さん」
「まあ、大阪の? あの有名な勝田男爵?」
「そうよ、勝田銀行を御存じでしょう? でも、弟さんは東京にお住居すまいになっていましたの」
 なるほどそう云われて見れば、新聞でよく見かける勝田男爵の顔に酷似そっくりだった。
 そこでS夫人は静かに語り出した。
「今ではもうすっかり開けているでしょうが、その頃のシャム国は実に野蛮な未開地だったんですよ。私のような物好きな女には何もかも物珍らしくって面白い処だったんですけれど――。ある時こんな事がありました。支那街の無頼漢が、鰐寺わにでらの縁日に行って喧嘩を始め、相手の男を鰐のいる池にち込んだというんです。ほうり込まれた男はそれっきり出て来ません。さあそれが評判になって鰐寺見物が多くなったという始末、どこの国でも野次馬は絶えないわけね。それで私も見物に交って早速出かけてみました。
 かなり古いお寺で、その庭に大きな古池があって、鰐が五六ぴきいるので、それで鰐寺などと呼んでいるんですが、本当の名は別にあるんです。水が泥のように濁ってて、中なぞ何も見えませんが、少時しばらく立って水面を眺めていますと、池の真中ごろの処に小波さざなみが立って、やがてひょっこりと鰐が顔を出しました。いくら昼日中でもあの顔を出されては余り気味もよくないので、思わず飛び退きますと、いつの間に来ていたのか、私の後に一人の紳士が立っていて、その人に危くつかるところでした。