銭形平次捕物控(ぜにがたへいじとりものひかえ)


「親分、あつしはもう口惜くやしくて口惜しくて」
 八五郎はいきなり怒鳴り込むのです。彼岸過ぎのよく晴れた朝、秋草の鉢の世話に、餘念も無い平次は、
「騷々しいな、何が一體口惜しいんだ。好物の羊羹やうかんでも喰ひ損ねたのか」
 一向氣の無い顏を擧げるのでした。
「そんな氣樂な話ぢやありませんよ。親分も知つて居なさるでせう、菊坂小町と言はれた小森屋の娘お通が、昨夜殺されましたぜ」
「フーム」
「口惜しいぢやありませんか。あつしの岡惚れでも何んでも無いが、本郷中をピカピカさした娘を、虫のやうに殺して宜いものでせうか、親分」
「泣くなよ八、それにしても、向柳原に居るお前が、菊坂の殺しを俺より先に嗅ぎ出すのは、大層良い鼻ぢや無いか」
「追分に用事があつて、セカセカと本郷の通りを行くと、鉢合せしさうになつたのは、臺町の由松親分ぢやありませんか。その由松親分が、『菊坂小町が殺されて、昨夜から調べにかゝつて居るが、俺一人では我慢にも裁ききれねえ、錢形の親分を迎ひに行くところだ』といふから、あつしが引返して親分をつれ出すことになり、由松親分は其處から又菊坂の現場へ引返しましたよ――」
 八五郎は言葉せはしく説明するのです。
「よし、臺町の由松親分の頼みなら、行かざアなるめえ」
 平次は手早く支度をして、菊坂町へ飛んだのです。
 お通の父親といふのは、小森彌八郎といふかなり分限者ぶげんしやで、昔は槍一筋の家柄であつたと言ひますが、今では町内の大地主として、界隈かいわいに勢力を振ひ、娘のお通の美しさと共に、山の手中に響いて居ります。
 小森屋の住居もまた、町人にしては非凡のぜいでした。菊坂の坂上に建てたコの字型の建物で、玄關や破風はふうや長押を憚つた町家造りには違ひありませんが、それを内部の數寄をらした贅澤さに置き換へて、木口も建具も一つ/\が人の目を驚かします。
「錢形の親分」
 主人の彌八郎は一應平次を迎へましたが、激しい心の動亂に、急には言葉も出ない樣子です。五十前後のすぐれた人品で、江戸の分限者らしい中老人ですが、かうした知的な見かけのうちに、案外の情熱を持つてゐるのかもわかりません。
「飛んだことでしたね、小森屋さん」
 平次もこれは知らない顏ではありません。
「親分、あの神樣のやうな娘を、――あんまりひどいことをするぢやありませんか。どんなことをしても、敵を取つて下さい、お願ひです」
 日頃の傲慢がうまんさに似ず、打ちしをれた父親の姿は、見る眼にもあはれでした。
 娘お通の殺されたのは、母屋と中庭を隔てゝ相對する廊下續きの六疊の一と間で、それはお伽噺の姫君の部屋のやうな、可愛らしくも美しいものです。母屋に向いた北側は丸窓で、南は總縁、その外は板塀で、板塀の下は崖になつて居り、崖の下には折り重つたやうに町家が續いて居ります。
 母家から廊下傳ひに、娘の部屋へ入つて行くと、親類の小母さん方が二三人、濕つぽく死骸のお守りをし乍ら、何かと葬ひの打合せをして居りましたが、平次と八五郎の姿を見ると、入れ替りに、コソコソと母屋へ引揚げてしまひ、主人の甥の鐵之助といふ、頑丈な三十男だけが、案内顏に縁側に立つて居ります。
 床の上に横たへた娘お通の死骸の痛々しさは、さすがの平次も息を呑みました。やゝがらの大きい、色白の、さながら崩れた大輪の牡丹を思はせる美しさです。生前本郷中をクワツと明るくしたといふ、不思議な愛嬌も、今は見る由もありませんが、十九といふにしては、見事に成熟した肉體の魅力は、死もまた奪ふ由の無い美しさです。
「ひどい事をしたものですね、親分」
 後ろから首を長くして、八五郎は口惜しがるのです。
「傷は、前から一ヶ所、左の胸元を、單衣の上からやられてゐる」
 心臟を一と突き、恐らく若い娘は、聲も立てずに死んだことでせう。
「胸にこれが突つ立つて居りました」
 甥の鐵之助は、部屋の隅から、手拭に包んだ眞矢ほんやを一本持つて來て見せました。鷹の羽をいだ古い征矢そやですが、矢の根が確りして居り、それがベツトリ血に塗れて、紫色になつて居るのも無氣味です。
「これでやつたのかな」
 顏を擧げると、母屋に向いて居る北側の丸窓の障子に、一ヶ所矢でも突き拔けたやうな穴が明いて居り、娘のお通が丸窓の下の小机に凭れて居たとすると、障子越しに射た矢が胸に突つ立つて命を奪ることも考へられます。


「此矢は何處に置いてあつたのだ」
 平次は甥の鐵之助に問ひかけました。
うつぼに入れて、母屋の床の間に立てかけて置きましたが、彌太郎が玩具にして困るので近頃は柱にかけて置くこともあります」
 鐵之助は何んの淀みもなく答へます。三十にしては分別臭い方で、男前は不景氣ですが、人間は思ひの外確りものらしく、受け答へはまことにハキハキして居ります。