銭形平次捕物控(ぜにがたへいじとりものひかえ)


「親分、四谷おし町の小松屋といふのを御存じですか」
「聞いたことがあるやうだな――山の手では分限ぶげんのうちに數へられてゐる地主か何んかだらう」
 錢形平次が狹い庭に下りて、道樂の植木の世話を燒いて居ると、低い木戸の上にあごをのつけるやうに、ガラツ八の八五郎が聲を掛けるのでした。
「その小松屋の若旦那の重三郎さんを案内して來ましたよ。親分にお目にかゝつて、お願ひ申上げたいことがあるんですつて」
 さう言へばガラツ八の後ろに、大町人の若旦那と言つた若い男が、ひどくおびえた樣子で、ヒヨイヒヨイとお辭儀をして居るのです。
「お客なら大玄關から――と言ひ度いが、相變らずお靜が日向ひなたを追つかけて歩くから、あそこは張板でふさがつて居るだらう。此方へ通すが宜い」
「へツ、そこは端近、いざま――ずつと來たね。若旦那、遠慮することはない。ズイと通つて下さいよ」
 八五郎の剽輕へうきんな調子にさそはれるやうに、身扮みなりつた、色の淺黒い、キリリとした若いのが、少し卑屈ひくつな態度で、恐る/\入つて來ました。精々二十歳そこ/\でせうか、まだ世馴れない樣子のうちに、妙に野趣やしゆを帶びた、荒々しさのある人柄です。
あつしは平次だが――小松屋の若旦那が、どんな用事で、こんなところへ來なすつたんだ」
 縁側へ席をまうけさして、平次は煙草入を拔きます。調子は間違ひもなく客を迎へ乍ら眼はまだ庭に並べてある、情けない植木鉢に吸ひ付いて、その若い芽や、ふくらんで行くつぼみを享樂して居るのでした。
「思案に餘つて參りました――私の身に大變なことが起つたのでございます」
「大變なことにもいろ/\あるが」
 平次の瞳はやうやくこの若い客に戻りました。持物も、身扮みなりも、申分なく大商人の若旦那ですが、物言ひや表情や身のこなしに、一脈の野趣と言はうか、洗練せんれんを經ない粗雜さの殘るのはどうしたことでせう。
「――私は、殺されかけてゐるので御座います。親分さん」
「それは容易ぢやないな、くはしく話して見るが宜い――が、その前に、お前さんの身の上を聽いて置き度いな。お前さんは小松屋の若旦那で、素直に育つて來た人ぢやあるまい。昨今田舍から出て來たのか、それとも――」
 錢形平次の首はむづかしくかたむきます。
「恐れ入りました。親分さん、私の身上には、人樣が聞いても本當にはしないだらうと思ふやうな大變なことがございます」
「その大變なことから話して貰はうぢやないか」
「――」
 若旦那は、少しばかりモジモジして居ります。それは容易ならぬ重大事らしく、言つたものか、言はずに濟ましたものか、ひどく迷つてゐる樣子です。
「言つて惡いことなら別に聽かうとは思はないが――」
「いえ、良いも惡いもございません。皆んな申上げてしまひます。親分さん」
「それが上分別といふものだらう」
「何を隱しませう、私は――」
「――」
「この私は、ツイ二年前までは、兩國の橋の下を宿にして、使ひ走りから、日手間取り、たまにはあぶれて、人樣の袖にすがつた、なさけない宿なしだつたので御座います」
 若旦那は思ひ切つた調子で斯う打ち明けると、懷から手拭を出して、額口ひたひぐちの汗などを拭いて居ります。
「それは又變り過ぎて居るぢやないか」
 平次もツイ居住ひを直しました。木戸のところにぼんやり立つて居る八五郎も、四方あたりに氣を配り乍ら、聽耳を立てて居る樣子です。


「私は何處で生れて親が何んと言ふものかそれも存じませんでした。最初は輕業かるわざの南左衞門といふ親方のところで、玉乘りやブランコの稽古けいこをさせられて居りました。何うやら一通りの藝を仕込まれると――四つ五つから、十四五まで、關東から甲州、信州へかけて、旅から旅と興行を續けて居りましたが、今から五年前、親方の南左衞門が江戸へ出て兩國に小屋を掛けて興行をした時、贋金にせがね使ひに掛り合つて、親方の南左衞門は死罪、一座の者は遠島、追放、所構ところがまへとバラバラになつてしまひした。私はまだ前髮立ちで、親方の惡事などは夢にも知らず、お蔭で罪はまぬかれましたが、その代り江戸の眞ん中へ、頼る人もなく投り出されてしまつたので御座います」
 小松屋の若旦那重三郎の話は、世にも怪奇を極めます。
「江戸に知り合ひが一人もなく、見世物や輕業かるわざは、構はれたも同樣で、今更外の一座に割込むわけにも行かず、よしんばまた私を使つてくれるところがあつたにしても、あの仲間に戻るのは、私の方で眞つ平御免だと思ひました。お猿や犬の太夫と同じやうに、食物とむちとで馴され、命がけの危ない藝當をさせられるくらゐなら、私は餓死がしした方が餘つぽどしだと思つたので御座います。