みだれ髪(明治34年)(みだれがみ(めいじさんじゅうよねん))

49,なほ許せ,御國遠くば,夜(よ)の御神(みかみ),紅盃船(べにざらふね)に,送りまゐらせむ
50,狂ひの子,われに焔(ほのほ)の,翅(はね)かろき,百三十里,あわただしの旅
51,今ここに,かへりみすれば,わがなさけ,闇(やみ)をおそれぬ,めしひに似たり
52,うつくしき,命を惜しと,神のいひぬ,願ひのそれは,果してし今
53,わかき小指(こゆび),胡紛(ごふん)をとくに,まどひあり,夕ぐれ寒き,木蓮の花
54,ゆるされし,朝よそほひの,しばらくを,君に歌へな,山の鴬
55,ふしませと,その間(ま)さがりし,春の宵,衣桁(いかう)にかけし,御袖かつぎぬ
56,みだれ髮を,京の島田に,かへし朝,ふしてゐませの,君ゆりおこす
57,しのび足に,君を追ひゆく,薄月夜(うすづきよ),右のたもとの,文がらおもき
58,紫に,小草(をぐさ)が上へ,影おちぬ,野の春かぜに,髮けづる朝
59,繪日傘を,かなたの岸の,草になげ,わたる小川よ,春の水ぬるき
60,しら壁へ,歌ひとつ染めむ,ねがひにて,笠はあらざりき,二百里の旅
61,嵯峨の君を,歌に假せなの,朝のすさび,すねし鏡の,わが夏姿
62,ふさひ知らぬ,新婦(にひびと)かざす,しら萩に,今宵の神の,そと片笑(かたゑ)みし
63,ひと枝の,野の梅をらば,足りぬべし,これかりそめの,かりそめの別れ
64,鴬は,君が聲よと,もどきながら,緑のとばり,そとかかげ見る
65,紫の,紅の滴(した)り,花におちて,成りしかひなの,夢うたがふな
66,ほととぎす,嵯峨へは一里,京へ三里,水の清瀧(きよたき),夜の明けやすき
67,紫(むらさき)の,理想(りさう)の雲は,ちぎれ/\,仰ぐわが空,それはた消えぬ
68,乳ぶさおさへ,神祕(しんぴ)のとばり,そとけりぬ,ここなる花の,紅(くれなゐ)ぞ濃き
69,神の背(せな)に,ひろきながめを,ねがはずや,今かたかたの,袖ぞむらさき
70,とや心,朝の小琴(をごと)の,四つの緒の,ひとつを永久(とは)に,神きりすてし
71,ひく袖に,片笑(かたゑみ)もらす,春ぞわかき,朝のうしほの,戀のたはぶれ
72,くれの春,隣すむ畫師(ゑし),うつくしき,今朝(けさ)山吹に,聲わかかりし
73,郷人(さとびと)に,となり邸(やしき)の,しら藤の,花はとのみに,問ひもかねたる
74,人にそひて,樒(しきみ)ささぐる,こもり妻(づま),母なる君を,御墓(みはか)に泣きぬ
75,なにとなく,君に待たるる,ここちして,出でし花野の,夕月夜かな
76,おばしまに,おもひはてなき,身をもたせ,小萩をわたる,秋の風見る
77,ゆあみして,泉を出でし,やははだに,ふるるはつらき,人の世のきぬ
78,賣りし琴に,むつびの曲(きょく)を,のせしひびき,逢魔(あふま)がどきの,黒百合折れぬ
79,うすものの,二尺のたもと,すべりおちて,螢ながるる,夜風(よかぜ)の青き
80,戀ならぬ,めざめたたずむ,野のひろさ,名なし小川の,うつくしき夏
81,このおもひ,何とならむの,まどひもちし,その昨日(きのふ)すら,さびしかりし我れ
82,おりたちて,うつつなき身の,牡丹見ぬ,そぞろや夜(よる)を,蝶のねにこし
83,その涙,のごふゑにしは,持たざりき,さびしの水に,見し二十日月(はつかづき)
84,水十里,ゆふべの船を,あだにやりて,柳による子,ぬかうつくしき(をとめ)
85,旅の身の,大河(おほかは)ひとつ,まどはむや,徐(しづ)かに日記(にき)の,里の名けしぬ(旅びと)
86,小傘(をがさ)とりて,朝の水くむ,我とこそ,穗麥(ほむぎ)あをあを,小雨(こさめ)ふる里
87,おとに立ちて,小川をのぞく,乳母が小窓(こまど),小雨(こさめ)のなかに,山吹のちる
88,戀か血か,牡丹に盡きし,春のおもひ,とのゐの宵の,ひとり歌なき
89,長き歌を,牡丹にあれの,宵の殿(おとど),妻となる身の,我れぬけ出でし
90,春三月(.みつき),柱(ぢ)おかぬ琴に,音たてぬ,ふれしそぞろの,宵の亂れ髮
91,いづこまで,君は歸ると,ゆふべ野に,わが袖ひきぬ,翅(はね)ある童(わらは)
92,ゆふぐれの,戸に倚り君が,うたふ歌,『うき里去りて,徃きて歸らじ』
93,さびしさに,百二十里を,そぞろ來ぬと,云ふ人あらば,あらば如何ならむ
94,君が歌に,袖かみし子を,誰と知る,浪速の宿は,秋寒かりき
95,その日より,魂にわかれし,我れむくろ,美しと見ば,人にとぶらへ
96,今の我に,歌のありやを,問ひますな,柱(ぢ)なき纖絃(ほそいと),これ二十五絃(...げん)
97,神のさだめ,命のひびき,終(つひ)の我世,琴(こと)に斧(をの)うつ,音ききたまへ
98,人ふたり,無才(ぶさい)の二字を,歌に笑みぬ,戀(こひ)二萬年(..ねん),ながき短き