予謀殺人(よぼうさつじん)


 よい酒を送ってくれといって、それに相当する金を送ってきた人に、わるい酒を送る商人は、面とむかって非難されてもしかたがないどころか、ことによると、法律上の罪人になるかもしれない。それは、道徳的にいって、不愉快な同室者をさけるため、一等切符をかって一人おさまっている乗客のそばに、そのいやがる同室者をおしつける鉄道会社と同罪なのである。が、もともと、ハーバート・スペンサーも指摘したように、集団的良心というものは、個人的良心より、鉄面皮なものなのである――
 ルーファス・ペンベリーはそう考えた。彼がそう考えたのは、汽車がメイドストン駅を発車しかけたとき、一人の粗野な逞しそうな男が、車掌に案内されて、彼の部屋にはいってきたからであった。彼がわざわざ高い料金をはらったのは、クッションの柔らかい座席に坐りたいからでなくて、なるべく自分一人きり、それが不可能なら、すくなくも感じの好い人と同室になりたかったからだった。ところが、その男がはいってきたため、それが二つともだめになったのである。彼は憤慨した。
 その男は、彼の孤独の邪魔をしたばかりでなく、じつに傲慢無礼な態度をとった。汽車が動きはじめるやいなや、じっと無遠慮な視線をペンベリーにそそいで、ポリネシヤの人形のように、まばたきもせず見つめるのである。
 彼は不愉快なばかりでなく、頭が混乱してしまった。しだいに腹が立ってきたので、坐ったままもじもじ体を動かした。紙入れをだして、一つ二つの手紙を読んだり、名刺を分けたりした。傘をひろげて目隠しにしようかとさえ思った。しまいには辛抱しきれなくなった。頭がにえくりかえるほどだった。ついにたまりかねて、彼はとげとげしくいった。
「そんなにおれの顔ばかりにらんでいたら、今度であったとしても、見そこなう心配はないだろうね。またであうのはまっぴらだが。」
「一万人の群集のなかだって、君の顔を見そこなう心配はないよ。顔を覚えることにかけちゃ、おれは名人なんだから、一度見た顔は忘れやせん。」
 あまりの言葉にペンベリーはどきっとして、
「それは結構。」といった。
「顔を覚えるのが上手なのは都合のいいものだよ。すくなくも、ポートランド刑務所の看守をしていた頃は、そいつが役にたった。君だっておれを覚えているだろう。プラットだよ。君があすこにいる頃、看守の手伝いをしていた男だ。ポートランドは地獄みたいなところだった。だから前科者の顔をみるため町へ行く時には、おれはとても嬉しかったものだ。あの頃拘置所は、君も覚えているだろうが、ホロウェイにあった。のちにはブリクストンに移ったけれど。」
 昔のことを考えながら、プラットは言葉をきった。ペンベリーは、驚いてまっさおになり、
「誰かと人違えをしているんだよ。」と、あえぐようにいった。
「人違いじゃないよ。君はフランシス・ドブズだろう。十二年ほど前の晩に、ポートランドから逃げだした男だよ。着ていた刑務所の服は、そのあくる日に海岸に流れついた。どこへ逃げたかさっぱり分らない。あんなに上手に逃げたのにお目にかかったのは、おれも初めてだった。前科者係りのところには、君の写真や指紋が保存してあるはずだ。だから、君がぐずぐずいうんなら、あすこへ行ったらわかるよ。」
「行く必要はないよ。」ペンベリーの声は弱々しかった。
「それはそうだろうね。金がどっさりできて、その金を有利な事業に投資したりしていちゃ、そんなところへ行くのを、嫌がるのもむりはないだろう。」
 ペンベリーはしばらく石のようにおし黙って、窓の外を見つめていたが、ふとプラットをふりかえって、「いくら出せばいいんだ?」ときいた。
「一年に二百ポンドぐらい出したって、君はびくともしないんだろう?」プラットは落着いていた。
 ペンベリーはちょっと考えたあとで、
「おれが金を持っているように見えるかね?」
「ペンベリー、」と、プラットはにが笑いしながら、「君のことは洗いざらい分ってござるんだ。この半年ばかり、君の家のすぐそばに住んで観察しているんだから。」
「鬼のようなやつだ!」
「そう、その通りだ。刑務所をやめると、オーゴーマン大将のうちの下男になって、ベイスフォードの別荘にいるんだが、大将はめったにあすこへはやってこない。そしておれがそこへ来るとすぐ、君を見つけたわけなんだが、おれのほうじゃ今までわざと名のらないでいたんだ。どうして名のらないかというと、そのあいだに君の財政状態をしらべて、年二百ポンドぐらい、だせるかどうか確かめたかったのだ。」
 しばらく二人とも黙っていた。
 もと看守をしていた男は言葉をつづける――
「こんなことになったのも、人の顔を覚えるのが上手なお蔭なんだ。同じ刑務所にいたジャック・エリスは、二年も君を鼻の先にみていながら、まだ気づかないでいやがる――」そういったあとで、口をすべらせたのを後悔するもののように、「あいつはいつまでたったって、君に気がつく心配はないよ。」とつけくわえた。