測量船(そくりょうせん)



春の岬旅のをはりの鴎どり
浮きつつ遠くなりにけるかも
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母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花あぢさゐいろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
※(「車+隣のつくり」、第3水準1-92-48)りんりんと私の乳母車を押せ

赤いふさある天鵞絨びろおどの帽子を
つめたきひたひにかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道
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太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
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あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音あしおと空にながれ
をりふしにひとみをあげて
かげりなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺のいらかみどりにうるほひ
ひさし々に
風鐸ふうたくのすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまするいしのうへ
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夕ぐれ
とある精舎しやうじやの門から
美しい少年が帰つてくる

暮れやすい一日いちにち
てまりをなげ
空高くてまりをなげ
なほも遊びながら帰つてくる

閑静な街の
人も樹も色をしづめて
空は夢のやうに流れてゐる
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 夕暮が四方にめ、青い世界地図のやうな雲が地平に垂れてゐた。草の葉ばかりに風の吹いてゐる平野の中で、彼は高い声で母を呼んでゐた。

 街ではよく彼の顔が母にてゐるといつて人々がわらつた。釣針のやうに脊なかをまげて、母はどちらの方角へ、点々と、その足跡をつづけていつたのか。夕暮に浮ぶ白い道のうへを、その遠くへ彼は高い声で母を呼んでゐた。

 しづかに彼の耳に聞えてきたのは、それはこだまになつた彼の叫声であつたのか、または遠くで、母がその母を呼んでゐる叫声であつたのか。

 夕暮が四方に罩め、青い雲が地平に垂れてゐた。
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この湖水で人が死んだのだ
それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ

あし藻草もぐさの どこに死骸はかくれてしまつたのか
それを見出した合図あひづの笛はまだ鳴らない

風が吹いて 水を切るの音かいの音
風が吹いて 草の根や蟹の匂ひがする

ああ誰かがそれを知つてゐるのか
この湖水で夜明けに人が死んだのだと

誰かがほんとに知つてゐるのか
もうこんなに夜が来てしまつたのに
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鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つころがつてゐた。

そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。
脊中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。
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鵞鳥。――たくさんいつしよにゐるので、自分を見失はないために啼いてゐます。

蜥蜴。――どの石の上にのぼつてみても、まだ私の腹は冷めたい。
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 恐怖に澄んだ、その眼をぱつちりと見ひらいたまま、もう鹿は死んでゐた。無口な、理窟ぽい青年のやうな顔をして、木挽小屋の軒で、夕暮の糠雨にれてゐた。(その鹿を犬が噛み殺したのだ。)藍を含むだ淡墨いろの毛なみの、大腿骨のあたりの傷が、椿の花よりも紅い。ステッキのやうな脚をのばして、尻のあたりのぽつと白い毛が水を含むで、はぢらつてゐた。
 どこからか、葱の香りがひとすぢ流れてゐた。
 三椏みつまたの花が咲き、小屋の水車が大きく廻つてゐた。
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 秋はすつかり落葉になつてその鮮やかな反射が林の夕暮を明るく染めてゐる。私は青い流れを隔てて一人の少女が薄の間の細道に折れてゆくのを見る。そこで彼女はぱつちりと黒い蝙蝠傘をひらく。私は流れにそつて行く。私は橋の袂にたつ。橋の名は「こころの橇」。水の面にさまざまの観念が、夕映に化粧する。私は流にそつて行く。私は橋の袂にたつ。橋の名は「鶫」。その影が水の面に顫へてゐる。私は杖に身をもたせる。私は遠くにまた橋を見る。また橋を。その橋の名は?――その橋の名は私がつけよう、「私のものーくる」。
 そして日は暮れ易い。もう私の散歩があまりに遠くはないだらうか?
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 私は峠に坐つてゐた。
 名もない小さなその峠はまつたく雑木と萱草かやくさの繁みに覆ひかくされてゐた。××ニ至ル二里半の道標も、やつと一本の煙草を喫ひをはつてから叢の中に見出されたほど。