ヴェニスに死す(ヴェニスにしす)

 アッシェンバッハは、なかばうっかりと、なかば糺明きゅうめいするように、この見知らぬ男を熟視しながら、おそらくつつしみを欠いてしまったのであろう。なぜといって、かれはその男が自分をにらみ返したのを、急に感じたからである。しかもそのにらみかたが、いかにも好戦的で、いかにもまともに目をさすようで、いかにも露骨に、やるところまでやろう、そして相手の視線をむりにもはずさせよう、というはらを見せたものだったので、アッシェンバッハは、ばつが悪くなって、身を転じると、さくにそって歩きはじめた――もうあの人間のことは気にしまい、とふと決心しながら。かれはその男のことを、次の瞬間にはもう忘れていた。ところで、その見知らぬ男の姿の中の旅人めいたものが、かれの想像力にはたらきかけたのか、それともほかに、何か肉体的なまたは精神的な影響が、そこにかかわっていたのか、どっちにしても、かれは自分の内心がふしぎに広まってゆくのを、全く思いがけなく意識した。それは一種のそわそわした不安であり、遠きを求める、若々しく渇した欲望であり、非常にはつらつとした、非常に新しい――とは言えないまでも、非常に遠い昔に捨てられ忘れられてしまった感情だったので、かれは両手を背に、視線を落したなり、この感じの本体と目標をぎんみしようとして、しばられたように立ちどまってしまった。
 それは旅行欲だった。それだけのものだった。しかしほんとうに発作として現われたうえ、情熱的な境にまで、いや、錯覚にまでたかめられたものだった。かれの欲望は視力をえた。労作の幾時以来、まだしずまっていなかったかれの想像力は、この多様な地上のあらゆる奇跡とおどろきを急に思い浮かべようと努力して、それらに対する一つの実例をつくり出したのである。――かれは見た。一つの風景を、もやのふかい空のもとにある、しめった、肥沃ひよくな、広漠こうばくとした熱帯の沼沢地を、島と泥地でいちどろをうかべた水流とから成っている、一種の原始のままの荒蕪こうぶ地を見た。たくましいしだのしげみの中から、怪奇な花をつけた、生いしげった、もりあがった植物の谷の中から、毛のはえたしゅろの幹が、遠近に突き出ているのを見た。妙に醜悪な形の樹木が、その根を、宙に浮かせてから地面の中へ、緑のかげのうつる、とろりとした流れの中へ、突きさしているのを見た。――そこの浅瀬には、大皿ほどもある、乳いろの、浮かんだ花のあいだに、肩のとび出た、ぶかっこうなくちばしの、変った種類の鳥たちが立って、じっとわきのほうを見つめているのである。――それからうずくまっているとらの両眼が、竹やぶのふしの多い幹のあいだに、きらきら光るのを見た。――するとかれの心臓は、驚愕きょうがくと不可解な欲望で高鳴ったのである。やがてまぼろしは消えた。そして頭をひとふりしながら、アッシェンバッハは墓石工場こうばのさくにそうて、ふたたび散歩をはじめた。
 かれは、すくなくとも、世界交通の利益を随意に享受するだけの資力をえて以来、旅行というものを、感覚と嗜好しこうに対してときどきとらねばならぬ、一つの衛生上の処置としか考えていなかった。自我とヨオロッパふうのたましいとから課せられるさまざまな使命に、あまりにもいそがしくされ、生産の義務をあまりにも負わされ、気ばらしをあまりにも好まない結果、多彩な外界の愛好者となりえないかれは、あらゆる人が自分の圏内から離れずに、地球の表面について持ちうる見解で全く満足していて、かつて一度も、ヨオロッパを去ろうと試みたことさえなかった。ことにかれの命が徐々におとろえはじめて以来、仕事が成就せぬかもしれぬという芸術家のおそれが――なすべきをなさぬうちに、そして完全に自分を出しきってしまわぬうちに、時計のねじがすっかり解けてしまうかもしれぬというあの憂慮が、もはや単なる気まぐれとしてしりぞけられなくなって以来、かれの外的生活は、ほとんどひとえに、かれにとって故郷となったこの美しい町と、それからかれが山地に建てて、雨の多い夏をすごすことにしている、あの殺風景な別荘とに限られていたのである。
 それにまた、たった今、かれをかくもおそくかつ不意におそったものも、理性と若い時からおこなってきた自制とによって、たちまち緩和され是正されてしまった。かれは、自分が生きる目あてとしているその作品を、いなかへ移り住む前に、ある段落まで書き進めておくつもりだった。そしてかれを幾月かにわたってかれの労作から引きはなすであろう世界漫遊の考えは、あまりにもいいかげんなあまりにも計画に反するもののように思われた。それはまじめに問題にするわけには行かないのである。そのくせかれには、どういうわけでこの誘惑が、かくもだしぬけに現われてきたか、それはわかりすぎるほどわかっていた。これはかれが自ら承認したことだが、遠い新しいものをしたうこのあこがれは、解放と負担脱却と忘失とをねがうこの欲望は、逃避の衝動なのだ。――あの作品からのがれよう、固定した、つめたい、激しい奉仕をおこなう日常の場所からのがれようとする衝動なのだ。なるほどかれはこの奉仕を愛していたし、またかれの強じんで尊大な、いくたびも試錬をへた意志と、このつのってくる倦怠けんたいとのあいだの、精根を枯らすような、日ごとにくりかえされる闘争をさえも、ほとんど愛していたことはいた。この倦怠は何人にも知られてはならぬものだったし、どうあっても、不随意と弛緩しかんのどんな兆候によってでも、作品の上に現われてはならぬものだった。――しかし、弓を張りすぎないことは、こうまでいきおいよくほとばしり出る欲求を、きままに窒息させてしまわないことは、賢明なように思われた。かれは自分の労作のことを考えた。ついきのうと同じく、きょうもまた筆をとめなければならなかったあの個所のことを――気ながないたわりにも、急速な奇襲にも屈しようとしないかに見える、あの個所のことを考えた。かれはそこをさらにぎんみして、障害を突破しよう、あるいは解消させようと試みたが、しかも嫌忌けんきのおののきを感じながら、攻撃を中止してしまった。ここには何も異常な困難が呈示ていじされているのではなかった。かれをなえさせるのは、もう何物によっても満たされえぬどんよくとなって現われている厭気いやき――そこから来る狐疑こぎであった。もちろんどんよくというものは、すでに青年時代のかれによって、才能の本体であり最奥の素地であると見なされていたのだし、そのどんよくのために、かれは感情を制御し冷却させていたのだ。それはかれが、感情というものには、のどかな偶然や半端な完全で満足したがる傾向のあるのを、知っているからである。してみると、その抑圧された感覚が、今になって復しゅうするのであろうか――かれを見すてることによって、かれの芸術をこれ以上ささえたり生気づけたりするのをこばむことによって、形態と表現とに対するあらゆる快感、あらゆる恍惚こうこつをうばい去ることによって? かれは粗悪なものを製作したわけではない。かれが自分の卓越について、どの瞬間にも悠然ゆうぜんとして確信をもっていること――すくなくともこれは、かれの年齢からくる利得だった。しかし国民がかれの卓越を尊敬しているのに、かれ自身はそれを楽しむ気にはならなかった。そして自分の作品には、火のごとく生動する気分の標識が欠けているような気がした。それは喜びの産物であり、ある一つの内的な実質以上のもの、それ以上に重要な特長であって、鑑賞する人たちの喜びとなるあの標識なのである。かれは、食事をととのえてくれる女中と、それを食卓に運んでくれる従僕と三人きりで小さな家に暮らす、あのいなかの夏をおそれた。またしても自分の不満な遅筆をとりまいて立つであろう、あの山頂や絶壁の見なれた様相をおそれた。だからそこで、夏がすごしやすい生産的なものになるためには、あるそう入が、多少の即興的生活が、遊惰ゆうだが、遠国の空気が、そして新しい血液の供給が必要なのである。では旅行だ。――かれはそれに満足だった。そうひどく遠いところへ、何もとらのいるところまで行くのではない。ひと晩を寝台車に送ってから、快い南国の、どこでもいい、万人むきの休養地で、三四週間ひるねをするのだ……