ヴェニスに死す(ヴェニスにしす)

 電車の騒音が、ウンゲラア通りをしだいに近づいてくるあいだに、かれはそう考えていた。そしてのりこみながら、今夜は地図と旅行案内を調べることですごそう、と決心した。乗降口で、ふとかれは、あの皮帽の男を――ともかく重大な結果を生じたこの滞留の伴侶をさがしてみよう、と思いついた。けれどもかれのゆくえははっきりしなかった。かれはさっきいたところにも、その先の停留所にも、なおまた車の中にも見いだすことができなかったからである。
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 プロイセンのフリイドリヒの一生を叙した、明澄雄渾めいちょうゆうこんな叙事詩の作者、人物の多い、ある思想の投影のなかに、人間のさまざまな運命を集めた「マアヤ」という長編小説のじゅうたんを、長いあいだひたむきに織り出した、根気のいい芸術家、「みじめな男」という標題で、恩を知る幾多の青年に、最もふかい認識のかなたにある、道徳的果断の可能性を示した、あの力づよい物語の創作者、最後に、(これでかれの成熟期の諸作は簡単にあげられたわけだが)「精神と芸術」についての情熱的な論文――その組織的な力と対比的な雄弁とは、荘重な批評家たちをして、これをそぼくな文学と感傷的な文学に関するシラアの論究と直接に比肩させた――の筆者であるグスタアフ・アッシェンバッハは、シュレエジエン州の郡役所所在地Lに、ある司法高官の息子として生まれた。かれの祖先は、将校、裁判官、行政官など、国王と国家につかえつつ、緊張した、つつましくきりつめた生活を送った男たちであった。かなり誠実な知性が、一度かれらのあいだで、ある説教師の一身に具現したことがある。この一族には、前の世代に、この作家の母、すなわちあるボヘミアの楽長の娘によって、前よりも性急な、前よりも官能的な血が入って来た。かれの外観に見える異人種の標識は、かの女から伝わっているのである。職務的にきまじめな謹直さと、さらにばく然とした、さらに激しい衝動との婚姻が、ひとりの芸術家を、しかもこの特殊な芸術家を生み出したのであった。
 かれの人物全体が名声というものにむけられていたので、かれは、別に早熟ではなかったにしても、それでも、その音調がきっぱりしていて、個性的な含蓄がんちくのふかいために、早くから公衆に対して、成熟した巧妙な腕を見せていた。ほとんどまだ高等中学校ギムナジウムにいた頃から、かれは名を知られていた。それから十年たつと、自分の机上から威容を示すこと、自分の名声を管理すること、簡単ならざるを得ぬ手紙の文言(なぜといえば、おびただしい要求がこの成功者、この信頼に値する者のもとへ、殺到さっとうしたからである)の中で、温良な重要な人物になることを会得していた。四十歳のかれは、本来の労作の艱難かんなんと浮沈に疲れ果てながら、世界のあらゆる国々の切手のはってある郵便物を、毎日毎日片づけなければならなかった。
 平俗からも奇矯ききょうからも、同じ程度に遠ざかっているかれの才能は、広い公衆の信仰と、気むずかしい連中の、嘆賞と要求とをふくんだ関心を、同時にかちうるようにできあがっていた。こうして青年の時すでに、あらゆる方面から、業績に対する――しかも異常な業績に対する義務を負わされていたかれは、かつて一度も安逸あんいつというものを、かつて一度も青春ののんきな怠慢を知らなかった。三十五歳の頃、かれがウィインで病気になったとき、ある明敏な観察者がかれについて、集会の席でこう言った。――「ごらんなさい。アッシェンバッハの暮らしかたは、昔からいつもこんなふうで、」と言いながら、語り手は左手の指をぎゅっとにぎり合わせてこぶしをつくった――「こんなふうだったことは一度もないんですよ。」――と言いながら、かれはひらいた手を、だらりと安楽いすの背からたらした。これはあたっていた。そしてこれについての勇敢でかつ道徳的な点は、かれの本性が決してたくましい性質のものではないこと、そしてたえざる緊張を義務としているだけで、本来それを持って生まれたのではないことである。
 医者の配慮が、少年のかれに、学校へ通うことを禁じて、家庭での課業をせまった。単独に、友愛なしにかれは成長した。しかもそのくせ早くも、才能にはとぼしくないものの、それを実現するのに必要な、肉体的地盤がめったにない一族、――若いうちに最善のものを出してしまうのが常で、能力というものがめったに長生きをしない一族――そういう一族に自分が属していることを、さとらなければならなかった。しかしかれの最もすきな言葉は、「こらえとおせ」というのだった。――かれは、フリイドリヒを扱ったかれの小説を、まさにこの命令語の聖化としか見なしていなかった。この語はかれにとって、受動的で同時に他動的な美徳の総和だと思われたのである。それにまたかれは、年をとることをせつにねがった。かれはもとから、真に偉大な、包括的な、いや、真に尊崇そんすうすべきものと呼び得るのは、ただ、人間的なもののあらゆる段階で、特徴的な生産をするだけの力を授けられた、芸術家の生活のみだ、という意見だったからである。