道化者(どうけもの)

 いっさいの結末として、かつ立派な大詰として、いや、あのことの全体として、今残っているものは、生活――おれの生活――が「そのいっさい」、「その全体」がおれの心に注ぎ込む、あの嫌厭けんえんばかりである。おれを絞めつけおれを駆り立て、おれをゆすぶってはまた投げ倒す、あの嫌厭である。おれにこのばかげたくだらない用向きを、残らずさっさと片づけて、逃げ出してしまうだけの動力を、おそらく早晩与えてくれる、あの嫌厭である。とはいえもちろん、おれはまだ今月か来月ぐらいは、こうやってゆくかもしれないし、あと四半年か半年ぐらいは、食ったり眠ったり、いろいろ用を足したりしつづけるかもしれない――この冬中おれの外面生活が過ぎたのと同様、機械的な、よく整ったおちついた調子で、かつおれの内部の荒涼たる分解作用と凄まじく相闘っているあの調子で。人間の内的体験というものは、その人間が、外的に束縛のない超世間な平穏な生きかたをしていればいるほど、ますます力強くますます心を疲らすようになりはしまいか。だが、どうにもならない。生きてゆくよりほかに仕方がないのである。活動の人となることを避けて、どんなに閑寂な荒野へ引っ込んだところで、人生の転変は内面的におそってくるだろうから、たとえ英雄であろうとばか者であろうと、ともかくその転変のうちに、自己の性格の真価を発揮せねばならぬであろう。
 おれはこの小綺麗な帳面を用意して、その中におれの「身の上話」を物語るつもりでいる。いったいなぜだろう。おそらくともかくもなにかしら仕事をするためかしら。あるいは心理的なことを喜ぶ心持からと、その心理的なこと全体の必然性を味わい楽しもうという気持からかもしれない。必然性というものは実に慰めになるものだから。またもしかすると、ちょっとのあいだ、自分自身に対する一種の優越感と無関心、といったようなものを享楽するためでもあろうか。なぜといって無関心――それは一種の幸福だということをおれは知っている。

 あれは、ずうっと裏手のほうにある。あの小さな古い町は。狭い、曲り角の多い、破風屋根のつづいた街路と、ゴシック風の教会や噴水と、働き好きな物堅い素朴な人々と、それからおれの育った、大きな古色蒼然たる邸宅とを持ったあの町は。
 その家は町の中央にあって、裕福で徳望のある紳商の家族が、四代もそこに住みつづけていた。「祈れよ、働けよ」というラテン語の文句が、表口の上に書いてある。上のほうに、白塗りの木造の廻廊がぐるりと取りつけられた、広い石だたみの玄関から入って、幅のひろい階段を昇りつくしても、なおその上り口のひろい床と、小さな暗い柱廊とを通り抜けなければ、高い白い扉の一つを潜って、居間に達することはできなかった。そこではおれの母親が、グランド・ピアノの前に坐ってなにか弾いていたものである。
 母親は薄明の中に坐っていた。窓々には、重たい濃紅色のとばりがかかっていたからである。そして壁布にある白い神々の姿は、浮彫のように青い背景から盛り上って、ショパンのあるノクチュルヌの、あの重たい低い出はじめの音に、耳を澄ませているかのようだった。それは母親のなによりも好きな曲で、あたかも一々の諧音の憂鬱をあくまで味わいつくそうとでもするように、いつもごくゆるやかに弾くのであった。ピアノは古くて、もう音量が足りなくなってはいたが、高いほうの音を、いぶし銀を思わせるほど柔かにする、弱音ペダルを使えば、ずいぶんふしぎな効果をあげることができたのである。
 おれは厖大な、堅い背のついた、緞子張りの長椅子に腰かけて、母親を眺めていた。母親は小柄でやせぎすで、たいていは柔かい薄緑の布地の服を着ていた。細い顔は美しくはなかったが、分けられて軽くうねっている、かすかな明色の髪の下では、おとなしい繊細な、夢見るような子供の顔とも見えた。首を少しかしげて、ピアノの前に坐っている時には、よく古い画に、聖母の足もとでギタアを持ち扱っている、あの小さないじらしい天使に似ていた。
 おれの小さいうち、母親は持前の低い控え目な声で、他には誰も知らぬようなお伽噺を、よく聞かせてくれた。あるいは膝にのっているおれの頭の上に、ただ両手を置いたままで、黙ってじっと坐っていることもあった。そういうのがどうやら、おれの生涯での、一番幸福な一番平和な時だったように思われる。――母親の髪は白くならなかった。おれは母親が年をとらないような気がした。ただからだつきがますますかぼそく、顔がますます細くおとなしく夢みるようになってゆくだけだった。
 ところが父親のほうは、上等の黒羅紗の上着と白い胴衣チョッキとを着た、丈の高い肩幅の広い男で、その胴衣には、金縁の鼻眼鏡がつるさがっていた。短かい半白の頬髯の間に、上唇と同じくきれいに剃った顎が、まるく大きく突き出ていて、眉と眉との間には、いつも深い縦皺が二本寄っていた。父親はおおやけのことに大きな権威を振った勢力家だった。おれは人々が息をはずませ眼を輝かせながら、あるいはまたうちひしがれて絶望しきって、父親のところを出て行くのを見たことがある。というのはおれも、また時には母親や二人の姉たちも、こういう場面に居合わせることがあったからである。そんなことがあったのは、おそらく父親が彼ほど出世したいという名誉心を、おれに吹き込もうとしたためであろう。あるいはまた、彼が見物人を必要としたためかもしれぬとおれは疑っている。父親が椅子にもたれて、片手を上着の折返しのところに突っ込んだなり、恵まれたあるいは砕かれた人間を見送る様子には、一種の癖があった。それがおれの子供心にも、すでにそういう嫌疑をいだかせたのである。