雨の玉川心中(あめのたまがわしんじゅう)

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愛してしまいました。先生を愛してしまいました。

三月二十七日~十月十七日

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 今野さんの御紹介で御目にかかる。場所は何と露店のうどんやさん。特殊な、まあ、私達からみれは、やっぱり特殊階級にある人である――作家という。流説にアブノーマルな作家だとおききしていたけれど、“知らざるを知らずとせよ”の流法で御一緒に箸をとる。“貴族だ”と御自分で仰言おっしゃるように上品な風采ふうさい

 初めの頃は、御酒気味な先生のお話を笑いながら聞いていたけれども、たび重ねて御話を伺ううちに、表情、動作のなかから真理の呼び声、叫びのようなものを感じて来るようになった。私達はまだ子供だと、つくづく思う。
 先生は、現在の道徳打破の捨石になる覚悟だと仰言る。また、キリストだとも仰言る。――「悩み」から何年遠ざかっていただろうか。あのときから続けて勉強し、努力していたら、先生のお話からも、どれほど大切な事柄が学ばれていたかと思うと、悲しい。こうしてお話を伺っていても漠然としか理解できないことは、情けない。
 千草で伺った御言葉に涙した夜から、先生の思想と共になら、あのときあの言葉ではないけれども――「死すとも可なり」という心である。
 聖書ではどんな言葉を覚えていらっしゃいますか、の問いに答えて私は次のように答えた。「機にかなって語る言葉は銀の彫刻物に金の林檎りんごめたるが如し」。「吾子よ我ら言葉もて相愛することなく、行為と真実とをもてすべし」。新聞社の青年と、今野さんと私とでお話したとき、情熱的に語る先生と、青年の真剣な御様子と、思想の確固さ。そして道理的なこと。人間としたら、そうるべき道の数々。何か、私の一番弱いところ、真綿でそっと包んででもおいたものを、鋭利なナイフで切り開かれたような気持ちがして涙ぐんでしまった。
 戦闘、開始! 覚悟をしなければならない。私は先生を敬愛する。


 まだ、ついこの間御逢いしたと思っていたのに、もう一カ月経ってしまうとは。初めの頃は御一緒に席についていても手持ち無沙汰で、先生のおタバコばかりっていたせいか、大変に数を喫うようになってしまった。指先が黄色くなるのを気にしているけれども、かさねてはかなわない。
 先生の性格から一番強く感じられるのは、優しさと、寂しさである。何故か知らない。
「なんじ断食するとき頭に油をぬり顔を洗え、苦しみは誰にだってあるのだ。ああ、断食は微笑と共に行え。せめてもう十年努力してから、そのときは真に怒れ。僕はまだ一つの創造さえしていないじゃないか」


“単なる友達として異性と遊ぶことすら、現代の若人にはできない。幸せを得ることを知らない”――これは二週間ほど前の頃であったろうか、津軽の故郷から、御上京なさった御親戚の青年お二人と、御一緒に御逢いしたときの御言葉である。あの時は、丁度ちょうど dependents house の帰路で、薄ら寒い夜だったと記憶している。案外渋いネクタイ(紺地にサイコロのような感じのする模様のある)の好みに、ちょっとお顔を見直してから、いろいろ想像をたくましくしてみたものだった。
 愛情というものは、嫌いでない人以外には度重なるうちに、自然に身にみ込んできてしまうものであろうか。型破り(悪い意味でなく)な先生の性格に引きずられてしまったものであろうか。キザなようだけれども、先生はいいものをたくさんもっておられる。
 好きだ!
亀井先生に、うなぎやさんでお目にかかる。早川さんと御一緒。一度、省線の中で、夜遅くおみかけしたことがあったのと、亀井先生のお書きになった島崎藤村の御写真とで、それと知る。評論家と、作家との原稿一枚の値がどうの……とは。食べねば生きていかれない人間なんですものね。サルトルという作家の名前を知る。岡本かの子の、生々流転せいせいるてんのことどもや、いい人でしょう、と紹介された私のこと。大きなグラスに盛られたビール。ウィスキーに入れた炭酸。
「お酒を飲んで、もうこれ以上飲むと道に寝てしまうという頂点になると、彼はいつもクシャミをするんですよ。風邪ではありませんよ。貴女、よく覚えておおきなさい」
 温かい雰囲気。御送りする。


“伊豆の地平線はちょうど私のお乳のさきにさわるくらいの高さに見えた”
 一番初めにお目にかかったときにも、耳にしたこの御言葉。そして、その後幾度でも耳にする御言葉。かの子の「つれづれと女なる身のはずかしさ、悲しさ覚ゆ乳房いだけば」を思い起こす。
 先生は詩人だと思う。先生の作品から私は詩を感じて仕方がない。当の先生は、お逢いすると十字架を背負っている人のようにみえるのに。人生のピエロ。一番むずかしい役割である。