日本名婦伝(にほんめいふでん)


 暁からの本能寺ほんのうじの煙が、まだ太陽のおもてに墨を流しているうちに、凶乱きょうらんの張本人、光秀の名と、信長の死は、極度な人心の愕きに作用されて、かなり遠方まで、国々の耳をつらぬいて行った。わけても、勝龍寺しょうりゅうじの城などは、事変の中心地から、馬なら一鞭ひとむちで来られる山城国やましろのくに乙訓郡おとくにごおりにあるので、桂川かつらがわの水が、白々と朝を描き出した頃には、もう悍馬かんばを城門に捨てた早打ちの者が、
「たいへんだっ」
 と、人の顔を見るなり誰にでも呶鳴どなって、やがてまろぶが如く、奥曲輪おくぐるわのほうへ馳けこんでいた。
 天正てんしょう十年六月二日であった。
 木々の露が香う。風が光る。
 この頃の夜々の眠りのこころよさは誰しもであろう。起きてすぐ若葉に対う目醒めもすばらしい。
 生きていればこそと、生命いのちの味いとさちを、改めて思うほど、肌をなぶる朝風も清々すがすがしい。
「…………」
 朝化粧をすましてもまだ彼女は、鏡に向って、恍惚うっとりとしていた。
 わが姿の清麗に、見恍みとれていたわけでもない。生命に感謝していたのである。
「――自分ほど幸福なものがあろうか」と。
 幸福というものは、幸福と知った時、心から感謝しておかなければ、幸福とも思わず過ぎてしまうものである。――だから迦羅奢がらしやは、
「今ほど幸福な時はない」
 と、現在の自分を噛み味おうとしているのであった。
 予感というものであろうか。その朝に限って、迦羅奢がらしやは、特にそんな気もちを抱いて、やがて、いつもの朝の如く、良人の忠興ただおきの居室へ朝の礼儀をしに行った。
 すると、今し方まで、毎朝の日課として、弓を引き、兵書を読みなどしていた気配の良人が、どこにも見えなかった。
 縁端えんはしを見ると、小姓こしょうがひとりで端坐している。
「お湯殿にお渡りか」
 迦羅奢がたずねると、小姓は、
「いいえ、大殿おおとのに召されて、西曲輪にしぐるわへお越しになりました」
 という。
 西曲輪は、良人の父、幽斎ゆうさい細川藤孝ふじたかの住居とされている所である。
「……お。そうか」
 とのみで、彼女は、もすそいて、そのまま自分の室へもどった。そして乳母を招いて、暫し乳母の手から、乳のみ児の与一郎を膝へ取り、乳ぶさを授けていた。


忠興ただおきの心は、決しておりまする。わたくしの妻へなど、小さい御不愍ごふびんはおかけ下さいますな。私の妻の処置は、私へおまかせ置き願わしゅうぞんじます」
 若い忠興は、胸を正して云った。
 父の細川藤孝ふじたかは、武人とはいえ、温順な人であった。
 家は、室町むろまち幕府の名門であったし、歌学の造詣ぞうけいふかく、故実こじつ典礼てんれいに詳しいことは、新興勢力の武人のなかでは、この人をいて他にない。
 強いて、武人の中で、知識人らしい人柄を求めれば、明智光秀であったろうが、藤孝は、彼のように、新しい時代の教養よりも、むしろ古い学問の中から、今日に役立つものを取上げて、堅実に世を渡ってゆくといったふうな行き方であった。
 同じ知識人でも、文化に対する考え方でも、光秀とはそういうふうに違っていたが、その明智光秀と彼とは、切っても切れない、深い縁に結ばれていた。
 光秀がまだ名もない一介の漂泊人ひょうはくじんとして、越前の朝倉家に寄寓していた頃、藤孝も、三好・松永などという乱臣に都をわれて、国々をさまよっていた将軍義昭よしあき扈従こじゅうして、同じ土地に漂泊していた。
 ――今、真に頼みがいある武将といっては、尾張から出た織田信長殿よりほかに、頼みまいらす御方はありますまい。
 光秀は、その時分から、信長の偉大なことを知っていたのである。
 彼のすすめに依って、藤孝は、信長へ近づき、信長は将軍義昭を立てて、京都へ軍をすすめ、それがやがて信長の覇業はぎょうの一礎石となったのであった。
 同時に、藤孝も、この勝龍寺しょうりゅうじの旧領を受け、わけて明智光秀は、破格な寵遇をうけて、亀山城の主とまで立身した。――今生では報じきれない君恩をうけて来たのである。
 いや、信長には、主君としてばかりでなく、もっとくだけた世話にもなっている。
 光秀の二女の迦羅奢姫がらしやひめと、藤孝の嫡男の忠興ただおきとの結婚を、取結んでくれた人も、信長であった。
 今から四年前の天正七年に――迦羅奢姫十六、忠興も十六歳で、主君信長のお声がかりで華やかに婚儀をあげたあいだであった。
 そういう光秀との関係は、偶然にできたものでは決してなかった。藤孝は、彼も自分も貧しい一介いっかいの浪人であった頃から、およそ光秀ほど、信頼していた人物はなかった。その学問や知識に関する態度のちがいはあっても、人間として沈着で、教養も深く、忍苦に強く、理性に富んで、しかも戦場では人におくれをとらない一方の驍将ぎょうしょうとして――今朝の今朝まで、彼との縁を、悔いたことなど、ただの一度もなかったのである。